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春の鳥

鳴きそな鳴きそ春の鳥、
昇菊(しょうぎく)の紺と銀との肩ぎぬに。
鳴きそな鳴きそ春の鳥、
歌沢(うたざわ)の夏のあはれとなりぬべき
大川の金(きん)と青とのたそがれに。
鳴きそな鳴きそ春の鳥。

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團伊玖磨の連作歌曲
「三つの小唄」の一曲目で、
詩は北原白秋。

詩の出典となるのは
北原白秋の詩集『雪と花火』だが、
この詩集は本来
『東京景物詩及其他』という詩集の
第三版を出版する折、
新たに1章12篇を加え改題したもの。

歌曲集「三つの小唄」は
「春の鳥」「石竹」「彼岸花」
の三曲で構成されており、
その中の「春の鳥」と「彼岸花」は
初版の『東京景物詩及其他』に収録されているが
「石竹」は見当たらない。
おそらく「石竹」は
『雪と花火』改題時に追加収録された
12篇のひとつだと思われる。

さて、この『東京景物詩及其他』だが、
銀座や神田といった
当時ハイカラであった場所を
多くの舶来言葉で飾りながら語っている詩と、
根岸・鶯谷・浅草界隈から墨田といった
江戸の香りを色濃く残している場所を
語っている詩に分かれている。

白秋自身が東京のあちこちを散策し、
新しいもの・古いものを眺め、
そこから詩想を得て作られた詩の数々を
ひとつの詩集としてまとめ
上梓したものなのだろう。

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『東京景物詩及其他』が刊行されたのは大正2年のこと。

東京各地の寄席で女義太夫(娘義太夫)が大流行し、
竹本綾乃助や豊竹昇乃助、
豊竹昇菊などのスターを男衆が追いかける
「どうする連」たちで盛り上がったのは明治40年頃まで。

大正になると
大衆の興味の対象は更にモダンなもの、
踊り子のレビューや浅草オペラ、
カフェーの女給などへと移り、
女義太夫の人気は廃れてゆく。

年若い娘が裃をつけ
高座で声を張り上げて義太夫を唸り、
それに男衆たちが
「どうする?どうする?」
と掛け声をかけるのは、
秋葉原界隈のステージで
黄色い声を上げて踊るアイドル達に
ファンがライトを振りながら
掛け声をかけている現在(いま)と
変わらなかったりする。


・・・しかし、
白秋が『東京景物詩』を刊行した頃には、
そうした女義太夫の熱気や
盛り上がりは既にない。

「春の鳥」で
「鳴きそ な鳴きそ 春の鳥」
と繰り返される一節、
そして「昇菊」「歌川」といった
華やかな、艶やかな言葉・・・

その華やかな鳥の鳴き音の中に、
春の華やかさだけでなく
春が過ぎ去った後の寂寥の想いを
白秋は感じていたかも知れない。

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