「職業としての音楽家」考 03
さて、
私が「東京オペラシンガーズ」のメンバーとして
オペラ合唱の舞台に上がっていたのは
1997年から2004年までのこと。
その随分前にバブルが弾けていたとはいえ、
大規模なオペラ公演や音楽祭などは
数年がかりで企画が進められることもあり、
2001年頃まではそうした
「派手で大掛かりな公演」というのが
数多く行われていた。
地方公演や海外公演などもあり、
地域をあげての大規模文化事業として
潤沢な予算が割り当てられていて
泊まる宿もリゾートホテル並か
悪くても「プリンスホテル」程度の所には
滞在させて貰えたものである。
ただ、その待遇はともかく
合唱内部の実態は
あまり私の好みではなかったように思う。
当時のシンガーズのメンバーは
大別して2つのタイプがあり、
それぞれ参加動機が
微妙に異なっていた。
ひとつは
「表現の場」として
シンガーズの仕事・・・
・・・というより
「オペラという作品を作り上げる」
ことに、喜びを見出していた者達。
もうひとつは、純粋に
「労働の場」として
割り切って参加していた者達。
合唱の仕事を
「自身の音楽活動の場」
として捉えるか、
それとも
「糊口をしのぐための労働の場」
として捉えるか・・・
「どちらか一方のみ」
ということはありえないにせよ、
どちらに比重を置くかで
その者の合唱仕事に対する姿勢は
大きく異なっていたように思う。
私自身は
「ギャランティが保証され
自分自身もその額に
納得して仕事を受けたのであれば
あとは舞台に邁進するのみ」
という価値観で
シンガーズの仕事に臨んだが、
中には
「どれだけ力を入れようが、
貰えるギャラが変わる訳じゃない。
頑張るだけ無駄なのだから
もっと力を抜いて気楽にやろうよ」
と言ってはばからぬ者もいた。
まあ、本人自身が
どのようなポリシーや価値観で
シンガーズの仕事に臨もうが
本人個人が
それで動いているだけならば
私の知ったことではない。
どれだけ手を抜こうが、
「ただ出席しているだけで
メンバーたちの後ろで
口パクしているだけの存在」
であろうが、
それをたしなめたり
労働査定を下したりするのは
私の役割ではないからだ。
(その査定・評価の役割は
あくまで発注元の主催者、
監督業務も行う企画制作会社、
仲介手配を担うシンガーズの
元締めが行うもの。
他のシンガーズメンバーは
元締めからパートリーダーや
インペク業務を請け負わぬ限り、
これに関与はしない)
だが、この手の者達は
自分が集団の中で浮いてしまうのを
極端に嫌う性質がある。
「自分は手を抜きたいのだから
他のメンバー達も自分と同じように
手抜きをしてもらわないと、
自分が悪目立ちしてしまう」
・・とでもいうのだろうか。
・・・・・・・・・・・・
ひとつ例を上げてみよう。
びわ湖ホールのオペラで
「ドン・カルロ」を上演した時のこと。
2幕だったか、3幕だったか、
宮廷での祝典の場面。
緞帳が上がると貴族や女官たちが
見事な配置でずらりと並び、
舞台中央奥の玉座に坐る
皇帝に顔を向けているという光景を
観客の目の前に展開するという趣向だった。
女官たちは見事な作りのドレスの裾を
美しく後ろに伸ばした状態で、
「静止した絵画のような情景」として
舞台に立っていたのだが、
緞帳が上がる前、
私のすぐ近くの女声メンバーが
後ろの裾をうまく伸ばすことができず
私に助けを求めてきた。
ここの静止した光景(タブロー)を
美しく見せることは
演出上必要なことであり、
彼女は、その演出意図をくみ取った上で
出来る限りのことをしようとしたに過ぎない。
だが、私が直ぐに応じて
彼女のドレスの裾を整えていた時、
私の横から声が聞こえてきた。
「やめろ、やめろ。
そんなに気取って
格好をつけたところで、
どうせ誰も見ちゃいないんだ。
鬱陶しいから、やめろ、やめろ。」
この男、
・・・仮に「S村」と呼ぼうか、
この男は私の国立時代の同級生で
尚美の受験科にいた頃は
朝霞の寮の班長などやってた男である。
受験生や大学生の頃は
それなりに成績も出してはいたのだが、
結局は鳴かず飛ばずのまま
私も藝大に籍を移してからは
忘れていた存在だった。
私がイタリアから戻り
シンガーズに参加したとき
そこに彼がいたことに驚いたものである。
そして…というか、
やはり…というか、
シンガーズのメンバーの中では
古株の常連でこそあったが、
音楽稽古の時なども
常に最後列にいてヘラヘラしており
「手を抜いて上手に泳ぐこと」が
まるでベテランの証しであるかのような
言動が目立つ男になり果てていた。
どのようないきさつで
シンガーズのメンバーに入り
今に至ったのかは知らないし興味もないが、
自分自身が隠れて手抜きをするだけならまだしも
他人にわざわざ口出しをしてまで
自分と同じレベルに引きずり落とし
手抜きをさせようとするその性根(しょうね)は
私とは全く相容れなかったようだ。
(続)
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