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「南京入城ニュース映畫を見る」 01

  この中にまさしくまさしく我が夫の
  並ぶを思い涙流るる

※ ※ ※ ※ ※

平井保喜(康三郎)が
昭和十八年に発表した
野村玉枝の歌による
聖戦歌曲集《雪華》の第七曲。

歌集『雪華』では37首目にあたる。

曲名に記されたニュース映画とは、
南京攻略戦の翌年に公開された
戦線後方記録映画『南京』を指す。

映画は南京陥落の翌日から撮影が行われ
約3週間かけて撮ったフィルムを編集、
昭和13年の2月20日に内地で公開されている。

また、これは余談だが
この映画で使用された音楽の作曲、
および録音時の演奏指揮は
台湾出身の作曲家、江文也が行っている。

※ ※ ※ ※ ※


昭和十三年一月三日第七信到る。

『久方振りで手紙を書く余裕時得ました。

 此の前横濱で蘇州河を
 渡河の前に出したきりで
 全く出す暇もなかつたのです。

 渡支以来戦闘行軍と相踵ぎ
 多忙の日夜を過ごしました。

 今十三日南京入城まで
 不思議に命永らへ途中病気もせず
 頑健で軍務に服してゐますから
 御安心下さい。

 戦闘に踵ぐ追撃で
 全く手紙を出すことも出来ませんでした。

 昨日は、
 朝香宮殿下の臨御を仰ぎ入城式、
 今日は全軍戦歿者の慰霊祭を
 南京飛行場に於て執行され、
 中隊代表として兵六十名を率ゐ
 出席して来ました。

 今朝渡支以来初めて
 朝少しの雪を見ました。
 今後の行動は如何なるか不明です。

 第一回の補充将校も
 約半数は死傷しました。

 御両親は御達者ですか。
 輝美も今では
 口も相当きける様になつた事でせう。

 玉枝の體の工合はどうですか。
 友吉も一生懸命勉強してゐますか。

 外の方へは便りしませんから
 家の方から達者でゐる事を伝へて下さい。

 役場の皆様にも宜敷。

 気候は昼は内地よりも暖かいと思ひます。
 夜はたいした変わりはないと思ひます。
 雪が降らないので何よりです。

 昨日より前一月位晴天続きで
 非常に助かりました。
 今日も天気をもち直した様です。』


夫からの第七信はまだ続くが、
この手紙から明らかに
文体が変わっていることを
見て取ることができる。

一番の大きな変化は
漢字+カタカナ主体の文体から
「ひらがな」主体の文章となったこと。

戦前において
公文書作成の際の仮名には
カタカナを使用が定められており、
公文書以外の文書については
特に縛りはなかった。

当時の人々は、
文書を書く際の状況に合わせて
「カタカナ」と「ひらがな」を
使い分けていたようだ。

おそらくは公文書的なもの、
上司や上官の検閲などを
強く意識したものについては
あえて「カタカナ」を用い、
逆にプライベートでざっくばらんな
私信に近いものについては
「ひらがな」を用いたのではないかと推測する。

これまでの夫からの手紙は
軍の検閲を意識するだけでなく
兵士として、士官として
激戦地に赴く気概と緊張が
「カタカナ」という文体に
現われていたのではないだろうか。

(続)


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