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秋葉原の思い出

82年に手に入れた
アイワのウォークマン(HS-F1)、
これを買ったのは
確か秋葉原だったと記憶している。

その頃住んでいたのは
西武拝島線沿線の
「玉川上水」というところ。

当時はまだ、線路の北に
広大な米軍住宅の跡地が
建物ごと残っていたし、
駅から国立音大までは
見晴らしの良い原っぱで
なんというか
ただひたすら
「だだっ広い」
という印象だった。

ここから
1時間に3本走っている列車に乗って
おおよそ1時間半から二時間、
秋葉原まで出向くのは
「旅をしている」
「上京している」
という感があったな。

・・・まあ、秋葉原に限らず
高田馬場も新宿も、
等しく
「田舎からはるばる都会に出てきた」
感が満載ではあったけど・・・


日曜日、
朝6時台の新宿行き電車に乗り
二駅先の小川駅で西武園行きにに乗り換える。

一駅先の東村山で別のホームに移り
新宿からの本川越行きに乗り換え、
その更に一駅先が「所沢」。

ここで西武池袋線の池袋行き鈍行に乗り
個人レッスンに通っていた先生の住む
江古田駅まで、しばらく乗り続ける。
(急行を使った方が時間的には速いが、
 練馬でもう一度乗り換える必要がある)

江古田駅に着くのが大体7時半頃、
近くの喫茶店で
モーニングを食べながら時間を潰し
きっかり8時45分に店を出る。

そこから先生宅まで徒歩で12~3分
腕時計を見て9時ジャストにベルを鳴らし、
「時間に正確だねえ」と
これまたいつもの挨拶を交わして
1時間の個人レッスンを受ける。

10時過ぎに先生宅を出て、
ここからが私の「自由の時間」だった。


国立音大に入ったばかりの頃は
持っていたAV機器といえば
安物のラジカセ1台だけだったが、
オンケルと呼ばれていた級友から
レコードプレーヤーとプリメインアンプを
安く譲ってもらった事から
中古LP漁りやAV機器の拡充に目覚め
秋葉原にも結構通うようになったと思う。

当時のパターンとしては
江古田でのレッスンの後、
池袋にでて丸ノ内線に乗り
御茶ノ水駅で降りて
聖橋から万世橋に向かって
下りてゆくというのが定番だった。

あの頃の秋葉原は
AKBとかコスプレとか
そんなものは一切なく、
パソコンもまだ普及前で
美少女ゲームはもちろん
ゲーム機ソフトの店もなく、
ただひたすら
生活家電とオーディオ機器、
中古屋、ジャンク屋と
パーツ専門店がひしめく場所で
ある意味
「気兼ねのいらない街」
だったと思う。

表通りの店頭に並ぶのは
流行のウォークマンタイプと
廉価なラジカセ類、
どちらかというと
主流はエアコンに洗濯機、
そして大型化していた
ブラウン管式のテレビではなかったか。

ちょっと脇に入った
パーツ屋やジャンク屋の奥には
頑固そうな親父が客を睨み
「素人おことわり」の雰囲気が
プンプンと漂っていたが、
結構な掘り出し物があったりするので
そうした店を覗き歩くのは好きだったな。

秋葉原からの帰途は
総武線+中央線で新宿に出て
そこから歩いて西武新宿駅に行くか
あるいは山手線に乗り換えて
高田馬場から西武線に乗るのが常だった。

・・・その手には
お茶の水や秋葉原で手に入れた戦利品、
それも、まとめて買うからかなりの量・・・

玉川上水の自宅に帰るまでの間は、
その重たい荷物に汗をかきながらも
帰宅して中を開ける時を思いつつ
なんとか笑みを隠すために
車窓から遠くを眺めたりして・・・

・・・傍から見たら、さぞ
挙動不審な人物に見えたことだろうな。



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