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彼岸花

憎(にく)い男の心臓を
針(はり)で突かうとした女、
それは何時(いつ)かのたはむれ。

昼寝のあとに、
ハッとして
けふも賢くわが疲れ。

憎い男の心臓を
針で突かうとした女――
もしや棄(す)てたら、きっとまた。

どうせ、湿地(しめじ)の
彼岸花(ひがんばな)
蛇がからめば
身は踊る。
赤い湿地の
彼岸花、
午後の三時の鐘が鳴る。

※ ※ ※ ※ ※

北原白秋の詩による
團伊玖磨の連作歌曲『三つの小唄』、
その最後の曲となるのが、
この「彼岸花」。

曲の冒頭で
叩きつけられるように放たれる
「憎い男の心臓を」という言葉、
これは決して
男を憎いと思い余っての言葉ではなく、
男女の戯れ合いの中から生まれ出た
「私の心をここまで乱してくれて、
 エェ、ホントに憎らしい!」
という意味。

好きで好きでたまらない相手、
その相手の方も
自分の心がわかっているから、
戯れに気のなさそうな
つれないそぶりをみせる・・・

廓の中では
男の心を弄ぶのは
本来女郎の側であるはずなのに、
逆に自分が
心を弄ばれてしまっている・・・

そのどうしようもなく
切ない気持ちが
「憎い」という言葉になって放たれる。

だからこそ、この憎い男が
もし本当に私を棄てることになったなら、
それはもう
戯れとしての「憎い」ではなく、
本物の「憎悪」になってしまうかも。

なぜなら、
いくら床で睦み合い
好きの、死ぬのと
戯れ合っていたところで、
所詮は女郎と客でしかない間柄、

今こうして
男の事を想って過ごしていようとも、
夕方にもなれば
白粉を塗り、紅をさし、
笑みを浮かべて客をとらなければならず、
想い人への操を立てることすらできぬ
女郎としての自分を
嫌でも思い知らされることになる。

愛しい男と情を交わした
同じ場所・同じ床で、
他の男に抱かれなければならぬ
「女郎」という存在・・・


殺したくなるほどの
やるせない思いは、
男に向かっているのだろうか、
それとも
自分自身に向けられているのだろうか・・・

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