見出し画像

イベント用に書いた掌編小説


  雪と桜の花が舞う頃に 

 私の住む町は、一年中、雪が降る。寒くもない時にも雪が降る。桜吹雪に彩られるこの季節。春風に乗って花びらと共に舞っているのは雪――。
 聖護院夕子はカードを並べながらそう語る。彼女は、へめえれゑ店内の一角を借りて占い商売を始めたのだ。
 ふぅん、聖護院夕子の住む町はそんなところなんだ。自らの恨み辛みを晴らす事にしか関心が向かず、それ以外の森羅万象に疎い私には初めて聞く話だ。
「今の時分は、桜吹雪と雪が混じり合って独特な光景よね」少し離れたレジカウンターから、へめえれゑ店主のリョオコさんが声をかけてくる。
「そうだ、行かない?雪花見」
雪花見?あぁ、雪と桜を一緒に見るから雪花見か。
「行くって、いつ?」思わずタメ口で尋ねてしまった。
「今からに決まってるじゃない。今が見頃なら来週には終わってるでしょう。花と雪の命は短し、よ」ふふ、とリョオコさんはほくそ笑む。
「雪は年中見頃だけどね」聖護院夕子が、カードを見つめながら薄っすらと笑みを浮かべる。
「雪は年中でも、桜とのコラボレーションは今日までかもしれないわよ」リョオコさんはそう言いながら、いそいそと何やら外出の準備にかかり始める。
 聖護院夕子も広げていたカードを一つにまとめて始めていた。
 本当にこれから見に行くんだ。じゃ私もお共することにしよう。あれ?でも、そういえば、私は何かしようと思ってたような。出かける準備のどさくさですっかり失念してしまった。まあいいか。そのうち思い出すだろう。雪花見のお供をするというワクワク感に、私のエマージェンシー回路は作動不良を起こしたらしい。なんたって、誰か達と徒党を組んで行動するなんてことは、私の生活の中で常に希少な体験なのであった。両親と連れ立ってどこかへ行ったなんて記憶も数えるほどしかない。嫌われフェロモンを撒き散らしてたら、そりゃあ肉親といえども行動を共にしたいなんて思わないよね。
 というわけで、リョオコさんの車に三人で乗り込んだ。リョオコさんが車内のオーディオ・スイッチを入れる。男声の大合唱による読経が流れ出した。
「何ですか、これ」
「ヒマラヤの音楽大全集、というアルバムよ。全8曲・64分収録ね」
 音楽…。そう強弁されると不承不承うなずくしかない。
「他の7曲はどんな感じなんですか?」
「それぞれ別のお経が収録されてるわよ。ああそうだ、ボーナスでシークレット・トラックも収録されてるわ」
「それもお経?」
「もちろんよ。デラックス・エディション、つまり贅沢仕様なのよ」
 結局、目的地に到着するまで延々と読経を聞かされる羽目となった。天空からの轟きのような大地からの唸りのような重層的な読経の響きを聞かされているうちに当初の恐怖にも似た感覚が和らぎ、いつの間にか心がほぐされていくような快感さえおぼえ始めてきた。車に乗り込んでしばらくの間も、私は今日へめえれゑで何用があったのか思い出そうとしていたのだが、読経の調べに心が浮遊して、そういった目的意識は霧散してしまっていたのだった。
 そろそろ聖護院夕子の町に入る頃、読経に夢現だった私に股間から臀部にかけての違和感が伝わってきた。はっとする。思い出した。私は、へめえれゑでトイレに行こうとしていたのだ。尿意はまだ軽微だったので、聖護院夕子のカード占いをほんの1,2分冷やかすつもりでその場に座ったのだった。聖護院夕子のオラが町自慢からリョオコさんの唐突な遠出宣言に至るどさくさに紛れて、トイレに行くミッションを失念してしまっていた。失念したまま車内の読経に心身ともに緩んだ挙げ句がこれなのだ。あう。どうしよう。後部座席から恐る恐る声をかける。
「あの…。リョオコさん」
「なあに?」
「やっちゃいました」
「何を?」
「腎臓からの老廃物の排出を」
「あらまあ」
 リョオコさんはそれ以上何も言わず、車の運転に集中する。助手席の聖護院夕子も、私とリョオコさんのやり取りの間、ルームミラー越しに一度二度と視線を向けてきたが、あとは何食わぬ顔でドライブを楽しんでいる様子だった。
 目的地に着いた。聖護院夕子が住む町。年中、雪が舞い散るところ。桜の樹がところどころある河川敷。なるほど、桜吹雪に混じって白い雪も飛んでいる。
 リョオコさんと聖護院夕子が車を降りる。バスタオルを下半身に巻いて私も降りた。ここに来る途中に立ち寄ったドラッグストアでバスタオルとともに入手した紙おむつを穿いているのでバスタオルが解けても安心だ。安心なのか?穿いていても穿いてなくても、タオルが解ければ私の乙女心的に、いや社会的にも一発アウトな気がする。幸いなことに車のシートはフェイク・レザーで撥水性があるので、そこに老廃物が染み込むこともなくきれいに拭き取ることができた。雪花見にのみ関心を向けたい。
 三人で連れ立ってしばらく歩くと、すぐに桜の樹近くで空いているスペースを見つけることができた。腰を下ろし、宴を始める。舞い飛ぶ桜の花びらと雪を眺めながらスナック菓子をつまみつつ、雑談に興じる。
 老廃物の排出事件から開放されて気が緩んだのか、私はいつの間にか眠りに落ちた。時々桜の花びらや雪らしきものが私のおでこや頬に当たる感触があった。その軽い刺激が随分と心地よい。
 どのくらい眠っていたのだろう。目が覚める。辺りは、お昼早くに来たときの明るさから夕方の色に移行していた。私は大の字になっていた。タオルは解けていた。リョオコさんは?聖護院夕子は?周りを見渡す。あの二人の姿はなく、見ず知らずの人達が紙おむつを穿いて大の字になっている私を不審そうに見ながら行き交っているばかりであった。
 ああ、穿いてて良かった紙おむつ。いや、やっぱり穿いていなかった方がむしろ無難だったのではあるまいか?そんな想いに揺れながら、私は衆人の視線から逃れるように寝たふりを決め込んだのであった。

(5月21日開催、かきくらライブ版11より)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?