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キナバル山に登頂してきた!!〜〜最悪の豪雨、呼吸困難寸前、そして、最高の登山〜〜



それはかつてなく過酷で、
苦しく、経験したことのない
冷たく、長く続く豪雨にさらされた
登山だった。

  
  
しかし、、、、、、
 
 
こんにちは!
マレーシア、タイ、
インドネシア、ベトナムなどで
 
 
【世界多拠点生活】
 
 
を送っている自由起業家の
坂田公太郎です。
 


マレーシアの
ボルネオ島にあるキナバル山
(標高4095メートル)

に登ってきました。


いやーー、大変だった。
過酷だった。
そして、最高だった。
 
 
実はコタキナバルに移住した
大きな理由は、この
キナバル山にある。
 
 
「キナバル山に登りたい!だったら、
コタキナバルに住んでしまおう。
マレーシア好きだし。」
 

と言う感じで移住した。


コタキナバルに移住、写真は離島のマムティック島にて





そして、2024年の
6月30日から7月1日に
かけて、念願のキナバル山を
登山してきたんだ。



今日は自分としての備忘録とともに、
これから登る人たち参考に
なるように、お話ししていければと思う。


【登山インフォメーション】


 
 
■日本からのフライト■
夏期のみ直行便あり。
多くはクアラルンプールや
韓国仁川などの空港を経由
 
 
■登山について■
キナバル山は、自分たちだけで
登山することができない。
 
 
ガイドを雇うことが必須。
 
 
もちろん自分で手配する
こともできるけれども、多くは
ツアー会社を通して手配することになる。


私が参加したツアーは、


食事、宿泊(ドミトリー)、
入山料、手続き料、
ガイド料、送迎料
 
 
などが全て入った
コミコミプランで参加した。
 
 
料金は

一人約2700リンギット
(9万円)
 
これはツアーの中では、
一般的な値段と言える。
 
■必要装備■
 
・登山靴
・防寒着(山頂は0度前後!)
・ウィンドブレーカー
・水(ツアーだと500mlはもらえるが、足りない)
・ヘッドライト(私たちは持っていかなかった)
・軽食(休憩中につまめる物、ナッツとか)
 
 

【1日目】


 
 
1日目は6時20分ごろに送迎車が
ホテルまでお迎えに来てくれる。
 
 
その後約2時間かけて
手続きなどを済ます
キナバル公園事務所に到着。

キナバル公園事務所にて


さらにバスで15分かけて
標高1866メートルの
登山口まで行く。
 
 
10時頃、ガイドとともに
登山開始。
 
 
初日は約6キロ、
約5時間の行程。
 
 
登山道は非常に
整備されていて登りやすい。
 

気持ちの良い登山道


 
熱帯雨林の景色を楽しみながら 
気持ちよく登ることができた。
 
 
さらに1キロ毎ぐらいに
休憩ポイントとトイレがあり、
ゴミを捨てることができる。
 
 
かわいいリスがいたるところに
いて、登山の疲れを癒してくれる。

リスくん可愛い


 
 
お昼14時ごろ標高3272メートルの
山小屋に到着。


標高3272メートル地点の山小屋に到着


 
 
山小屋の装備の
凄さにびっくりする。


富士山の山小屋では、
ひとり半畳ほどのスペースしかなく、
寝返りを打つと隣の人に
ぶつかるレベルのものである。
 
 
しかし、キナバル山の山小屋は
ドミトリーであっても、
一人一人ベッドと十分なスペースが
与えられ、シャワーも浴びることが
できる。
(高いプランだと個室も与えられる)


山小屋としては十分なふかふかのベットとスペース(使用済みのためちょっと部屋が荒れてます(笑))


 
 夕食もツアー代に含まれており、ビュフェ形式で暖かい、そしてとてもおいしい料理をいただくことができた。 


ビュッフェの夕食も充実


 
翌日は午前2時半出発のため、
18時には寝床に入る。
   
  

【2日目】


  
 
空気が薄く、
3時間ほどしか眠れなかったが、
予定通り午前1時半に起床。
 
 
簡単な軽食を食べて、
真っ暗なまま午前2時半に出発。
 

午前2時半、出発前の食堂


 
実は、ヘッドライトを忘れてしまい
真っ暗闇の中を登ることになった。


しかし、ガイドや他の登山者の
ヘッドライトと、意外に役立った、
スマートウォッチのライト機能の光で
何とか登ることができた。



しかし、この登りがキツイ!!!
 
 
標高3270メートルからの
出発であり、すでに空気が薄いのに、
そこから急勾配を、時にロープを
使って登らなくてはいけない。
 
 
本当に空気が薄く、
少し登っただけでも息が上がって
疲れてしまう。
 
 
最初の1時間登ったところで



「あと2時間くらいかかる。
私たちは本当に 頂上まで
たどり着けるのだろうか?」

 
 
と、恐怖が襲ってきた。


標高○○メートル



と、書いてある標識を見つけるたびに
勇気づけられ、そして、頂上までの
道のりの長さに、
気持ちが暗くなるのだった。 



富士山の標高を超えた!!あとすこし!!


  
 
その後、だんだんと薄い空気には
慣れてきたものの、
苦しさは変わらず、
10メートル登っては一休み、
10メートル登っては一休み、
を繰り返していた。
 
 
そうやっているうちに、
日の出の時間が迫り、徐々に
周囲も明るくなっていった時、
それは現れた。


標高4095メートル、
突き出た山の頂上が、
神々しく目の前に。


神々しく、頂上が現れた


 
 
しかし、登山経験者ならわかると
思うけれど、頂上は近くに見えても、
「実は歩くと遠い」
ということがよくある。
 
 
薄い空気と急勾配に耐えて、
近くて遠く感じる頂上を見ながら、
どういうわけか、
よくわからない人生哲学の
ようなことを考えていた
  
  
「どんな成功も一足飛びにはいかない。
一歩ずつ、確実に進むんだ」
  
 
「 一歩一歩、歩いてる時は、
とても成功に向かっている思えない。
でも、それには確実に近づいているんだ。」

  
  
なんてね。
 
 
そして、いよいよ4000メートルを超え、
山頂の4095メートルへのチャレンジ。
 
 
この頃になると、
本当に空気が薄く感じられ、
止まっていても、息が切れる。
 
 
陸亀のように、
ゆっくりと、一歩一歩、
歩を進める。
 
 
最後は、またロープを使った急勾配。
 
 
そして、周囲もだいぶ明るくなった
午前6時7分、
 
 
ついに登頂!!!!
 
 
やった、やった!
ついにやったんだ!!
 
  
これでまた、私の夢の
1つが叶ったのだ。



 
 
達成感と、心地よい疲労感に
包まれながら、私たちは
登頂することができた。


 
 

【下山】


 
 
いくつかの写真を撮った後、
私たちは下山に入った。
 
 
この頂上から山小屋に戻る、
約3時間半の行程は、
私たちの登山歴の中でも
特別に素敵なものとなった。

 
 
雲海や他の山々を下に見ながら、
絶景の中を下る、その気分は
頂上に辿りついた達成感と
相まって、とても爽快だった。



 
 
私は南北アルプスや屋久島でも
素晴らしい景色を見たけれども、
このキナバル山から見た
幻想的な光景は、一生忘れないだろう。



 
 
午前8時45分に山小屋に着き、
1時間ほど休憩。
 
 
この山小屋からの光景も
素晴らしいものだった。
 

下山中の山小屋にて。雲海を下に見てゆったり


 
軽く食事をし9時45分に下山再開。
 
 
ここまでは、天国。
 
 
達成感に包まれながら、
後は約5時間かけて、
今回の登山について語り合いながら
登山口まで戻るだけ、、、、、、
 
 
の、はずだった、、、、、
 
 
あんなことになろうとは、、、、
 
 
最初の数時間は特に問題なく景色も
楽しみながら、そして足の疲労を
感じながら下山をしていた。
 
 
約3時間後、それは訪れたのだった。
 
 
登山道には、
屋根付きの休憩所がたくさんあるので、
そこの1つで、休憩していた。


私たちがその休憩所で休んでいた
ほんの5分の間に、
急激に雨が降り出した。
 
 
熱帯雨林気候のスコールで、
日本言えば、まさにゲリラ豪雨
と同じ、滝のような雨である。


一瞬で、登山道が小川に
なるくらいの雨の量だ。
  
  
仕方ないので、
私たちは少しの間
雨宿りをしていた。
 
 
「数分待っていれば、
雨も弱まるだろう。
これが熱帯雨林気候と言うものだ。」

 
 
と、私たちは、この豪雨の景色も
楽しみながら、余裕を持って
休憩していた。
  
  
しかし、10分たっても
一向に止む気配は無い
 
 
いつまでも休んでいるわけには
いかないので、

「途中で止むだろう」
 
 
と言う思いをもとに、
簡単なレインコートをはおり
下山することに。
 
 
しかし、下山再開後10分たっても
20分たっても雨が止む気配がない
 
 
それどころか、雨はますます
激しくなり、登山道が、場所によっては
濁流のようになってしまった。
 
 
熱帯雨林気候の豪雨、
この厳しさを、
私は目の当たりにした。
 
 
しかし、登山口までの
最終バスが15時に迫っている
 
 
私たちは止まっている
わけにはいかない。
 
 
豪雨が続く中、
ひたすらに歩き続けた。
 
 
ただでさえ疲労困憊なのに、
標高が高いゆえの、冷たい雨に打たれ
続けていたのだった。
 
 
「さ、寒い、、、、」
 
 
まさか、赤道直下のこの場所で
こんなにも寒い思いをするとは、、、
 
 
さらに心配していたのは、
妻の妙美の体力だった。
 
 
「この寒い中、彼女の体力は
持つのだろうか?」
 
 
「足や膝足首の筋肉や関節は
大丈夫だろうか?」
 
 
「今この場で肉離れでも起こしたら
もう帰る術がなくなるかもしれない。」
 
 
「急勾配の中私が妙美を
背負っていけるのだろうか?
ガイドはどうするのだろうか?」

  
  
そんな思いを抱えながらも、
私たちは黙々と歩き続けた。
 
 
「あと、何キロ」
  

と出てくる
途中の標識だけが、
我々を勇気づけてくれる希望だった。
 
 
そして面白いことだが、
あれだけ体力を使い切って、
足の関節も筋肉も痛くなって
きていたはずなのに、
 
 
その痛みがほとんど気に
ならなくなっていたのだ。
 
 
豪雨で冷やされたことにより、
足の炎症がおさまったのか?
 
 
または直前状態に置かれた脳が
判断して、快楽部物質である
ドーパミンやβエンドルフィンを
出したのか?
 
 
理由はよくわからないが、
足の痛みはかなり軽減された。
 
 
それでも妙美は脚の筋肉が
徐々に痛くなってきたようだった。
 
 
とにもにもかくにも、
私たちは雨に打たれながら、
歩き続け、2時間後、
ついに登山口に到着したのだ。
 
 
きっちりと15時までの時間内に。
 
 
心から安堵した瞬間だった
 
 
そして我々はお世話になったガイドに
チップとともにお礼を伝え、
1時間半ほどかけて
自宅にあるコタキナバルに戻った。
 
 
二人で温かいシャワーを浴びた時の
感動と言ったら、、、、、、
 
 
今回の登山では、
 
 
・道のりを知っているガイド
(メンター)の存在はとても
大きいこと

 
 
・目標を決め、一歩一歩進めば、
夢は確実に叶う事。

 
 
・人生には天国もあれば
とても厳しい局面があること

 
 
そして
 
 
・厳しい局面を乗り切った時ほど
感動が大きいこと。

 
 
そんなことを改めて
学んだような気がする。 
 
 
今回の登山はとても貴重な、
一生の思い出に残る体験が
できた、素晴らしい物だった。
 
 
また、このくらいの
山に挑みたいと思います。

無事に帰って来れたことに感謝!!

坂田 公太郎

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