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親の心配なんて減らないもの、かも。

近藤です。

このしばらく南の夜空に土星と木星が出ています。晴れた日は寝る前に彼ら?がかわいく並んでいるのを確認するのが最近の楽しみです。

今週は会議で新居浜市の防災合同庁舎へ行きました。会議の前に1階の防災センターを見学させてくれるとのことで、VRで災害になった時の様子を見たり、地震の揺れを体験することができるマシーンに乗ったりしました。

私の町は海と山が近くその間の平地に人が住んでいます。ですから浸水と土砂崩れの心配は常にあり、更には中央構造線が町の東西に走っているので南海トラフ地震の被害は多分大きくなるところなのです。

ずいぶん前ですが、一度揺れ体験をした事がありました。あの頃は呑気に「怖いなあ」と思っただけでしたが、今回は怖さが増していました。室内の様子がよりリアルに映像で見られるようになっていたり、音も臨場感があったりしたので、テクノロジーの進化のせいだったのかもしれません。

三つの地震を体験したのですが、そのうち一つは「学校にいる」という想定の海溝型地震。こんなに強く、長く揺れるのか、という怖さ。揺れが収まった後のガラスの割れている教室と廊下の様子の怖さ。子ども達がこれを経験しなくてはならないことになるんだろうと思うと恐ろしくなりました。

「学校の窓ガラスに飛散防止フィルムが貼られているのか確認しよう。できるならすぐやってもらうように教育委員会に言わないとね」などと市役所の職員の方と話してその後の会議に出席したのでした。


帰り道、ちょっとした渋滞のためいつもよりゆっくり走る車の中で「ああそうか」と思った事がありました。

地震の揺れの体験が怖かったのは子どもがいるからなのだ、と。

自分一人だけもしくは夫と二人だけならなんとでもなるけれど、子どものことを思うと怖いと思ったり辛いと思ったり。地震に限らず、登下校のような小さいことから世界平和のことまで、私の怖いことは子どもが大きくなるにつれ増えているのかもしれません。

もう自分でなんとかできる。守ってもらおうなんて思ってないよ、と子どもはきっと言うでしょうが、親なんてそんなもんです。

口出しは役に立たないし、自分で行きたい方向へなんだかんだ言いながら進んで行く子どもを後ろから見るしかないものだし。

私の母もいまだに仕事へ出る際には「気をつけるんよ、よく見て行くんよ」と言います。しかし、それを聞いて「ハイハイ」と思っている私は完全に子どもに戻っています。

「わかってるよ!いい大人なんだから大丈夫!」

って思ってますからね。

では、また。