学校訪問に行くということ

山の我が家の夜はヨタカが鳴いているのが聞こえます。一度も見たことがない鳥ですが、宮沢賢治のお話しを思い浮かべます。

私の町では学校が再開しました。

それに伴って、教育委員会の学校訪問も始まり、私としては「新年度が始まった」という気持ちです。

全国的にこの学校訪問は無駄だと言われる事も多く、この日のために準備をする時間は、忙しい1学期においては負担だと言われています。

私個人の意見としてはこの日だけのために特別な教材を作って欲しいとは思っていません。また、この日だけのために教室の掲示物を充実させたり、清掃しすぎたりしなくていいよ、と思っています。

(ただ、このプレッシャーで学校を見直して安全面などが改善されてるのだとしたらそれもありなのかな)

実際、学校や先生が頑張っても子どもたちの様子を見れば普段の状態はだいたい分かります。

その一例として言えば今年度の小学校一年生は今週から入学したのと同じ。ですから授業の受け方はまだ例年の一年生と比べれば「練習中」の段階。それはそれでとってもかわいいけれど、1ヶ月余りの休校の有無の違いをはっきり感じました。


この学校訪問に教育のプロフェッショナルだけでなく私たちのような分野外の教育委員が含まれていることには意味があります。

学校の常識は社会の常識ではない、ということを前提に私たちが違う視点で学校を見ること。そして学校と教育委員会が気付かない「いいところ」や「改善して欲しいところ」を意見する。

という役割があるのです。

委員の私たちはそれぞれの分野のプロフェッショナルとして多くの経験をしています。ですから、短い時間とはいえそれぞれ自分の分野やテーマから見えてくるものがあるのです。

また、この訪問にはもう一つ大事なことがあります。

それは校長先生がどのような方針で学校経営をしようとしているかを知ること。

文書では分からない思いを更に聞かせてもらえる絶好の機会です。また、先生方が困っていること、教育委員会に改善してほしいこと、などを私たちに直接ぶつける機会でもあります。

教育委員会や教育委員なんて何してるんだか分からない、現場のことなんて分かってない、そういう声も聞こえてきます。

それでも私は子どもたちがいる学校を見てから会議の場に臨まなくてはならないと考えています。

立場と立場、仕事と仕事、いろんなことの間を橋渡しして子どもたちが溝に落ちてしまわないようにするのが教育委員の役割だと考えています。

今年度はコロナの影響もあり、訪問する学校が少ないのは残念ですが、現場の皆さんの工夫をたくさん見せてもらいました。

胸が熱くなりました。つらくて、悔しくて、微笑ましくて、嬉しくて、いろんなことが混ざった気持ちでした。

子どもたち以上に先生が嬉しそうで、そのことにも胸にグッときたなぁ。

では、また。