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逃げてもいいけど戻ってこい。

先週のこと、娘がオーケストラの練習に行きたくないと泣いた。今週は練習場へ送っていこうと学校近くで待っていた夫を見て自転車に乗って逃げたらしい。(それでもふてくされながらだが、ずいぶん遅れて戻ってきた)逃げてどうする気だったのか、と私は内心おかしかったが、放っておいた。

来年の3月にジュニアオーケストラの本格的なコンサートをすることになった。管楽器や打楽器も揃い、ほぼフルオーケストラという編成で演奏するのは2年ぶり。しかし、予定していたソリストと指揮者の出演はコロナ禍での延期に次ぐ延期の末、取りやめになった。残念がっていた矢先にバッハのドッペルコンチェルト、とか2台のバイオリンのためのコンチェルト(作品番号BWV1043)とかと呼ばれる協奏曲をやることが決まった。


この曲では二人のソリストが演奏する。そのうちの一人が娘になったのだが、プレッシャーからなのか練習がきついからなのか、これまでずっとオーケストラが大好きな彼女だったが初めての「オーケストライヤイヤ期」に突入してしまった。

実は私もイヤイヤ期には経験がある。

中学生の頃、剣道部に所属していた。一年生で県大会予選のレギュラーになったのだが練習が精神的にキツかった。慣れない上下関係に怖い先生。それまでは自由奔放に練習していたのに、部活では自分にとって無意味な決まりが多すぎた。入学前からレギュラーが決まっていたという噂も流れていて上級生から洗礼も受けた。そんなある日、「こんなところに居っても性格が歪むだけじゃ、自分の道場へ行ったほうがマシ」と思い、更衣室の窓から防具袋と竹刀と一緒に脱走したのだ。そう、部活イヤイヤ期のピークだった。逃げてどうなる、と今なら思うのだが。

先生によると地面に着地するかしないかの時に見つかった私に「なにしよんじゃ」と聞いた。すると私は咄嗟に「塾へ行くんで休みます」と言ったとか。「お前は塾へ防具と竹刀を持って行くんか、窓から出入りするんか」と笑えたが、必死でこらえたわ、と言う。今でも酔うと先生はこの時の話をするので、私としては罰が悪い。逃げてどうするんだ、中学生の私、と今は思うがあの時はあれが答えだったのだ。(その後も何度か脱走して阻止されたり、成功して翌日呼び出され、お説教をいただく、ということを繰り返した)

小学校低学年の頃に書いた読書感想文の課題図書は「のうさぎにげろ」だった。今思えばこれのせいで脱走癖が付いたのかもしれないと思う。代表に選ばれて喜んだのも束の間、先生からたくさん直されて何度も清書をした。作文の内容は覚えていないが、週末の夕方、父が消しゴム片手にぴったり横に座っていたことやちゃぶ台の縁がすべすべだったこと、緑のカーペットにタバコのコゲがあったことを覚えている。選ばれたことや父が側にいることはうれしかったけれど、何度も書き直しすぎて飽きてしまい逃げ出したいな、と思ったことは特によく覚えている。考えてみると、銀行員で忙しかった父があんなにべったりと勉強に付き合ってくれた時間はあの時だけだった。脱走しなくてよかった数少ない思い出である。


15歳のイヤイヤ期の娘に何を言っても聞く耳を持たないであろうことは彼女が3歳の頃に経験している。そこで私は彼女の機嫌の良い時についでのように言った。

「娘さん、ここらで一つ 本当の修行をしなさいよ」

私の記憶が正しければ、ファンシィダンスという映画でえらいお坊さんが修行僧にこんな感じの一言を軽く放ったと思う。その修行僧はそれまでなんとなく適当に、要領よく修行をこなしていた。後数ヶ月すればこの寺を出て実家の寺を継ぐ予定だったのに、法戦式という寺のメインイベントで首座という大役をもらい、やりませんとなった。その時に時に高僧から思いがけず件の一言を言われるのである。

娘も小さい時からバイオリンを弾いてきたので余力があり、オーケストラの中でなんとなく上手くやってきた。多少の努力でなんとかなる楽しいオーケストラだと思っていたのだろう。こんな大きなハードルは彼女のバイオリン史上初めてなのである。あの修行僧と娘が重なった。

彼女にあの一言が届いたかどうかは定かではない。次のレッスンも自転車で逃走するかもしれない。それでも逃げ切ったりはしないのだ。ふてくされながらも弾いている。それでいいんじゃないの。これもきっとホンキの修行の一部だ。

では、また。ごきげんよう。