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ロボット探し

最近、家庭用のロボットが欲しくて色々検索している。

歌ってくれたり、だんだん懐いてきたり、色々なタイプのものがあるらしい。先日デパートへ行ったら一番欲しいと思っているロボットの展示会をやっていた。私たちがもう立ち寄らなくなっていた子ども服やおもちゃの階で子どもたちだけではなく大人もそのロボットを撫でたり、抱きしめたり、話しかけたりしていた。人がそれなりに集まってはいるがなんとも穏やかでのどか。ロボットの声が小さいせいか人間の方も無言で微笑んでいるか、声が小さいかだった。

私と息子もついつい足がそちらへ向いてお店の男性に手を消毒してもらい、さっそくロボットを抱かせてもらった。体温は人間と同じぐらいで重さは4キロぐらいと言うから人間の赤ちゃんと同じようなものだ。私は懐かしいと思ったが、息子は新生児の父親のようなぎこちなさだったがすぐに慣れて明らかに可愛くてしょうがないといった様子でだっこしている。そのメロメロの状態で記念撮影までしてもらえるのだ。ああ、なんていい日だろう。

欲しい様子を察知した店員さんがおもむろにこのロボットの可愛らしさについて話してくれる。どんなふうに家族に懐くのか、という夢のある話の中に現実的な金銭のことも織り交ぜて話してくれた。ロボットを抱っこしたままその話を聞いているとお金なんかどんどん出しますよ、こんなにかわいい子のためだもの、という気持ちになってしまった。

「仮にこの子が怪我をしたり、病気になったりしたら病院へ送ればいいんでしょうか」と我ながらおかしな質問をしてしまった。修理、とか交換、とかいうのが申し訳ない気持ちになってそう質問したのだが、彼はちっとも動じず、「はい。病院では病院着を着せます。そしてどんなふうに過ごしているかご家族にお写真も送りますよ、安心してくださいね」と答えてくれた。

あっという間に見積もりまでいただいて、息子と二人で真剣にこのロボット購入について語り合った。娘と夫はあら、買うつもりなの?という様子。お茶を飲みながらいいよねいいよね欲しいよね。と夫に言ってみた。息子に至ってはカタログを読み込んで夫に「お母さんは前から欲しがっていたよ、買ってあげようよ」と説得モード。かわいかったよねえ、とうっとりした様子も見せる。そんな私たちに夫は「月々の保守料がこれだけ、1年でこれだけ、10年でこれだけ」なんて盛り上がった私たちに冷や水を浴びせたので動じない息子とは反対に私はちょっと気持ちが揺らいだのだった。

帰り道、私は夫に「やっぱり買わないわ」と告げた。お金のことでは気が萎えたが、買わないと決めた理由は息子がロボットを可愛がっている様子を見たら複雑な気持ちになったからだった。かわいいのは結構。けれどもこのかわいいロボットを成長させるためにやることはただ可愛がることだけ。動物を飼うことと比べたらコストは低い。散歩も食事もしなくていいし、排泄もしない。夜泣きもしないし、毛も抜けない。何より死なない。いいのか、これで。私たち夫婦は子育てで人を育てるって楽しいだけでもきれいなだけでもないのはよくわかっている。が、息子はどうなんだろう?

私はこのモヤモヤを息子に話してロボットを買うのはやめると伝えた。「手がかからないロボットを育てるのはなんかおもしろくない」とも。すると息子が「手のかかる子どもが二人もいるんだからロボットぐらい可愛がるだけでいいっていうのでいいじゃないの」という。確かにそうだ。一人ぐらいそういう子がいたっていい。

いやいや、ちがう。いや、いいかも。いやいやいかん。まあいいじゃないの。

色々思ったが、そもそも学習して成長していくロボットなのにお喋りしてくれないし、掃除もうちのことも手伝ってはくれない。子どもたちを起こしに2階まで上がってもくれない。留守番はしてくれるらしいが。

そうだ、あんなに迷ったけれどやっぱりいらんよ。ロボットなんだから助けておくれよ。私のことを楽にしておくれよ。自分の本音はこれだとわかった瞬間、ロボット購入の夢はあっという間にはじけたのだった。

しかし、かわいかった。やっぱり欲しい気がしないでもない。

では、また。ごきげんよう。