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剣士あらわる

暖かくなった。先週は高速道路を走っていると満開の桜を楽しむことができたけれど、今週はもうすっかり花びらが散ってしまっていた。薄紅の木に若葉がちょびっと付いているのはこの時期だけなんだよなあ、と思う。

4月は人事異動で新しい出会いがある。話したことはなかったけれどよくお会いする面々がいたり、お世話になった方に再会することもある。これも4月はじめのちょびっとの時期のことだ。

先日、山の図書館に予約していた本が届いたというので行ってきた。いつものようにこんにちは、と訪れるとそこにいたのは何と中学時代の剣道部の顧問ではないか。おおよそ図書館には似つかわしくない先生に思わず「ここでなにしよんですか」と言ってしまった。4月からここでお世話になるんじゃ、という先生はもっと体が大きかったと思うのだが、小さくなって総白髪のおじいちゃんになっている。声だけはでっかくて昔のままだが、当時は20代前半だったんだからしぼんでも仕方ないだろう。

しかし、図書館のカウンターの中に恩師がいるというのは緊張感があるし、なんとも複雑な気持ちである。滅多な本は借りられないと思ったりする。ちゃんと成長したところを見せて「中学生の頃の私はあんな感じでしたが、その後紆余曲折を経てこんなに立派になりましたぜ」と言いたいという気持ちがなきにしもあらず。しかし、日頃の私の興味ある本のラインナップを見ればなんじゃこりゃ、と思うに違いないのだ。

先生のいないところで「ダイエット本とかおしゃれの本とかが借りにくくなっちゃったなあ」と呟いた。「誰が何を借りたか、とか絶対公言しないし、私たちそういうことを詮索したりもしないし大丈夫ですよ」と長年いる女性がニッコリして言ってくれたけれど、いやいや違うんだなあと思った。

ある程度大人になった私を知る人には「あ、資料として読んでるんですね」と思ってもらえても先生に見られると「お前、子どもの時からそんなの好きだったよなあ」とか「お前がダイエットか!ワハハ」とか思われるのが嫌なんだよなあ。

とそこまで思って、考えすぎだと気がついた。本好きは誰がどんな本を読んでたって気にしない。自分の本のことしか考えない。先生が本好きだとは思えないが、他の人の読む本を気にするような性格だとも思えない。

さて、これから3年間先生に何度会えるかわからないが、図書館通いが楽しみになってきた。しかし、この緊張感はなんだろう。不意に竹刀で打ち込んでくるかも、と思うからだろうか。それとも悪いことをしていないのに「コラーッ」と言われる気がするからだろうか。あんなしぼんだ先生に負けないだろうとタカを括っていると痛い目に遭いそうな気がする。いつ来るとも分からない機会に備えておこう、と思う4月はじめなのだ。

では、また。ごきげんよう。