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さみしい味噌ラーメン

近藤です。

風が冷たいので、スーツにコートを羽織ってちょうどいい感じです。

山の我が家から坊ちゃんでお馴染みの松山に来ています。普段は車で移動することが多い田舎暮らし。自分に合わせて時間を組み立てるので、電車に乗る時は調子が出ません。私は自分のことをそんなに短気ではないと思っていますが、待っている時の1分、2分がいつもよりずっと長く感じます。

こうして我が家からするとずいぶん都会にやってくる時は、家族それぞれの予定を組み合わせて何度も山を降りなくて済むように工夫しています。

子どもの方も心得たもので「お母さん、どのくらい時間ある?」と確認し、15分のほど空いた時間があったのでコーヒーショップへ。息子が前から気になっていたというさくらフラペチーノを飲みに行きました。彼は時間配分して頭がキーンとならないように飲んでいましたが、娘は慌てる様子は皆無、しかし最後の2、3分で大急ぎ。私は追い立てて、結局最後は走る。いつもこんな調子です。

その後私は子どもたちを目的地へ送り届け、自分の用事を済ますために最寄りの駅から路面電車へ乗り込みました。

誰の手も引かずぱっと電車に乗れるなんて身軽なことです。些細なことですが、こんなことも子どもが小さい時分にはできなかったこと。私の荷物が軽くなり、彼らは私より早く歩けるようになり、もっと言えばトイレにいきたいかどうかも心配してやらなくていい。とにかく人が一人成長するということはなんとありがたいことか、と思ったのでした。

反面、もう子どもたちの手を離していい時が来てしまったということを電車の中で自覚しました。もうずっと前からそうだったのだと分かっていたのですが。小学校へ上がった時も、自転車で校区外へ行くようになった時も、オーケストラの合宿へ出かけた時も見送ることと心配することぐらいしか仕事がないなあと思ったものでしたが、なぜか今日は「私が子どもたちから巣立つ時だわ」と感じたのでした。

もうすぐ3月11日がやってきます。あの時、テレビ画面を見ながら幼稚園に通っていた長女と入園前の息子のことを守ってやらなくては、と強く思ったことを覚えています。ちょっとでも見えなくなると怖くなって、手を離さないように。見失わないように。ずっとずっと子どもたちが中心でいなくっちゃ。そう思っていつでもどこでも必ず一緒でした。

けれども、そんなことをずっとやっていられませんよね。子どもたちも大人になって、とっくにじんわり親との距離を離して行動しています。もう自分の行きたい方へ歩きはじめる年頃です。だから彼らが新しい世界へ出かけることに対して私が臆病にならないようにしなくちゃな、と思いました。

そんなことも考えていたらなんだかとても寂しくてちょっと鼻の奥がツンとしました。

「これはいかん!」そう思って昼食にもやし増量こってり味噌ラーメンを食べてしまいましたが、うーん、これもいかん!

では、また。