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テラスハウス研究1−1 TheEnglishTerracedHouse#1

ご機嫌よう〜
森薫先生の漫画、エマに登場するストウナー先生のお宅の間取りが気になって、
資料探していたら結局洋書に辿りついてしまったので
Google翻訳しながら自分用にまとめていきます。
英語苦手なので間違っている部分あれば教えていただけると幸いです。

まずは「The English Terraced House」をちまちま翻訳していきます。
豊富な挿絵・写真で捕捉されているので文章だけだとなかなか理解できないかも。


今回は「第1章:一般的なイギリスの長屋」から。



・18世紀以来、イギリスの住宅は圧倒的多数が長屋形式であった。
(row, row house を「長屋形式」とした。辞書では長屋建物、連続住宅、テラスハウスなど。本文内でterraced houseもでてくるので区別するため)

・国の主要な「地所」は、多くの場合、町の住宅の「地所」の最も重要な開発者だった。この点がイギリス特有。
(estate:エステート、地所。地主の所有する土地、領地。英国の各地に領地をもつ地主、貴族がロンドンなどの都市部にも土地を所有しており、その土地に広場・庭園を造成、周囲を囲むようにテラスハウスを建設した。参考:「ロンドンー地主と都市デザイン 鈴木博之」)

・イギリスにおける「郊外化」は、おそらく 16 世紀の初めから、仕事場から離れて暮らしたいという願望の高まりによる。17世紀以降の上流階級ではより強い傾向にあった。郊外の新興住宅地では、広場・庭園・道路が特定の住民のために確保されていることもあり、階級分離への強い願望も見られる。
※都市の土地所有者が開発する際、広場・庭園を設置、周囲を柵で囲い、広場を囲むテラスハウスの居住者のみが入場するための鍵を持っていた。
「エマ」でも「ガーデンに忍び込んでリンゴを〜」とのセリフがあるが、ガーデンには鍵をもつ住民しか入れないので忍び込んだ。

・ヨーロッパでは下層階級のための密集したアパート群は通常、産業革命と都市の急速な成長により、短い期間で大量の労働者が増えたため、その対策として建設されたと考えられていた。
しかし、イギリスでは田舎にも長屋形式の住宅が存在し、中流階級の人々も都市部の長屋形式の住宅に住んでいたため別の理由がある。

・17世紀後半以降、ロンドンのほとんどすべての住宅は投機的に建てられた。これは住宅が完成したらすぐに売れることを期待して顧客なしで建築することを意味する。ドイツやオランダでは19世紀後半に入ってからだった。

・建築者や開発者だけでなくユーザーにとっても住宅は単なる商品であった。ヨーロッパの他の国と比べて、自分の住居に対する永続性の感覚が遥かに薄かった。20世紀に入り住宅所有率が大幅に増加してもそれはほとんど変わっていない。

・テラスハウスの基本的な配置としては、各階に前と後ろの2つの部屋があり、入り口と階段は片側に配置される。家の幅は大きく違わないが、奥行きは様々なバリエーションがある。高さについては、1階建ての快適なバージョンから6階建てのものもあった。19世紀に入ると階数を増やすことが難しくなり、裏側に奥行きを持たせるようになった。

・ロンドンにおける近代的なテラスハウスの発展を理解するには、17 世紀の広場がもともと貴族の大きな宮殿が並ぶ予定だったということを覚えておく必要がある。宮殿の建設は遅く、例外的だった。宮殿にたいする需要の不足は、英国貴族が郊外の領地を管理し発展させることが自分たちの主な任務であると考えており、町にある比較的中程度の大きさの家に満足していたことによる。また、新たに台頭してきた上位中流階級(弁護士、成功した医師、公務員、大商人)とマイナーな紳士階級は、貴族が住んでいる家に似た形状の家に住むことを好んだことも理由であった。

・大きな宮殿が建てられることはなかったが、連棟住宅を並べて統一された構成とすることにより、宮殿のように見せる形式が流行した。労働者階級の地区では公共の庭園を造ったり追加の装飾を施す余裕はなかったが、表側を整頓された外観とし、裏側は貧しい日常的な仕様とすることで、通りとして統一されたイメージを作りあげることに成功した(表側を向かい合わせに配置することで整頓された通りを演出した)。

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