2007ACL往復書簡特別編・小齋→清尾「ACLだからこそ」
清尾さん、お疲れさまです
PCトラブルはバックアップがあったとしても予想以上に原状回復まで日数かかりますからね。お気になさらず。
MDP連載時代の私の締め切り破り回数にくらべたら、今回の件はどうということはないですよ。
さて、本題です。
清尾さんの往信を拝読し、知らないこと・忘れていたことがたくさんあるんだなというのが最初の感想でした。
まずは北澤さんの件。
清尾さんが書かれていた
『決勝のことを取り上げた日本テレビのスポーツ番組で、北澤豪さんが「我らが浦和レッズ…」と言ったことです。(中略)まさか北澤さんから、しかも日本テレビの番組でこのフレーズを聞くことになるとは夢にも思っていなかったので、本当に驚きました。』
これ、知りませんでした。
もともとあまりテレビは見ない質なのですが、当時はレッズがACL決勝へ進出したこともあり、優勝した場合に出版される予定の各誌増刊号の原稿依頼を頂戴していて忙殺されてもいました。
決勝第1戦後の帰国便でもヒイヒイ言いながら機内で原稿を書いていたことを覚えています。
なぜそんなことを覚えているかというと、帰国便はサポーターたちと同便で、戦い疲れて眠っている彼ら・彼女らの傍でキーボードカチャカチャやってるのは申し訳ないなあとの思いが強かったからです。
そこで、仲のよかった某スポーツ紙の記者と二人でキャビンアテンダントさんにお願いして、迷惑にならなそうな席へ移動させてもらいました。
自分で言うのもなんですが、こういった「気遣い」と呼べるようなことを国内のアウェイゲームでするかと自問すると、疑わしいです。そもそも国内であれば、それほどの移動時間ではありませんからね。
類似のことは同業者間にも。
実のところ、それぞれの取材姿勢が原因で反目するような間柄になってしまっていた記者も数人いました。
ですが、ACLになるとそれが薄まったり、場合によっては霧消してしまう瞬間もありました。
そういった意味では、Jリーグでは発露することもないような、ACLであるがゆえの『仲間意識』めいたものがあったことは間違いのない事実です。そしてそれが、私は結構気に入っていました。
つづいて、ガンバ大阪・川崎フロンターレからの協力について。
清尾さんはこう書かれていますが、仰る通りだと思います。
『ちなみにガンバは2005シーズンのJリーグ優勝で、2006年のACLに出場していますが、2005年度の天皇杯優勝で2007ACLの出場権を得たレッズはガンバにお願いして、この2006年ACLにスタッフを帯同させてもらいました。レッズが初出場の2007ACLで優勝できたのは、1年間の準備期間があったことが決定的な要因だったと僕は思っていますが、その中でもこの帯同は大きな部分を占めたはずです。
(中略)
また、今年の話になりますが、先日等々力競技場で行われた川崎フロンターレとのリーグ戦が終わった後、その場から決勝第1戦のサウジに向かうであろうレッズに対してスタジアムのビジョンで「掴み取れACL! 頑張れ 浦和レッズ!」というメッセージが掲示されたこと、等々力のピッチでクールダウンをするレッズの選手たちに川崎サポーターからも激励の拍手があったことは、お伝えしておかなければならないですね』
2006年初頭、その年にACLに出場するガンバの韓国・中国へのアウェイゲームにレッズの強化部スタッフのひとりが同行させてもらっていました。そのスタッフには私も取材をさせてもらいましたが、こう語っていました。
「ガンバさんは『1年も前から準備するの!?』と驚かれていました。でも、快く受け入れてくださって、動きの一通りを自分の目で見ることができたのは大きかったです」
スタッフが事前視察を行えたがゆえに、現地でのトラブルは極力未然に防がれ、選手たちは国内のアウェイゲームとさほど変わらない環境下でゲームに臨むことができていました。
また、上記スタッフはこうも語っていました。
「川崎フロンターレさんにはあちらが入手したセパハンの試合のビデオや現地での情報、すべて我々に提供していただきました」
レッズがファイナルで対したセパハンとフロンターレはノックアウトステージ初戦・ベスト8での戦いで相まみえてていました。そのデータの提供を受けていたのです。
国内ではタイトルを目指しあうライバルであっても、ACLでは協力を惜しまない。
ガンバ大阪・川崎フロンターレ、両クラブからの協力の背景には、Jリーグ内に創設された『JリーグACLサポートプロジェクトチーム』の存在も大きかったに違いありません。
また、私が今さら記す必要もなく、ホームでもアウェイでもサポーターがいなければACL戴冠という喜びは結実しなかったでしょう。清尾さんが記されているあの準決勝第2戦PK戦での勝利も、決勝第2戦での相手GKの明らかなキックミスもありえなかったことでしょうね。加えてどのアウェイゲームでも多くのサポーターが現地に駆け付けたことは、選手たちの大きなモチベーションになっていたことは間違いありません。
「このアウェイの地まで来てくれたサポーターのためにも」
そんな言葉が選手たちの口から紡がれるのを何度聞き、幾度それを原稿に書いたことか。
そして、彼らサポーターがアウェイへと赴き無事に帰国するには、JFA国際部の存在と尽力も欠かせないものでした。
前出のレッズ強化部スタッフは、ACL戴冠を振り返りこう口にしています。
「タイトルを獲ったのはレッズでしたけど、それはレッズの力だけじゃなく、日本のサッカー界の力を結集して獲ったものだと思っています」、と。
(了)
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