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夢に愛され、夢に生きた人『夢の回想録 高田賢三自伝』

2020年10月、新型コロナウイルスによる合併症により81年の生涯を閉じた高田賢三。
姫路市に生まれ、絵が得意で中原淳一に憧れ、宝塚歌劇に夢中になった少年は、大学を中退し文化服装学院に入学する。恩師小池千枝のもと、同じクラスになったコシノジュンコ、ニコルの松田光弘、ピンクハウスの金子功らと切磋琢磨しながら学び、「装苑賞」を受賞したことでデザイナーとして身を立てていくことになる。

1965年に渡仏し、パリでいち早くプレタポルテとして注目をあつめ成功した高田賢三。とくに70年代に発表された、民族衣装のモチーフを取り入れた「フォークロア」と、ゆったりしたビッグシルエットやバルーンシルエットが特徴の「アンチ・クチュール」は、ほかのデザイナーもこぞって追随するトレンドとなる。

私がKENZOを認識したのは80年代あたまだったと思う。色彩豊かだけどシックな花柄のワンピースやニット。骨董通りの六本木通り寄りに路面店があり、いつも立ち止まってショーウィンドウを見ていた。高額な服が買える身分ではなかったから、マテリアルやプリント、フォルムの面白さを眺めているだけだったけど。
その多幸感あふれるデザインは、想像力とチャーミングの塊のような高田賢三自身を写し取ったものだったのだと、本書を読んで腑に落ちた。

1991年からは立て続けに悲劇が高田賢三を襲う。最愛の人生の伴侶を亡くし、翌年には草創期からKENZOを支えたパタンナーが病に倒れる。共同経営者との衝突、株式をLVMHへ売却したあとに起きる裏切り。そしてデザイナー辞任。この自伝では淡々とした記述なのだけど、資金難に陥って亡くなったパートナーとつくりあげた自宅や美術品も手放すことになってしまう。

第二章として、本編とは別に、親友コシノジュンコと高田賢三との対談と、山本耀司から見た高田賢三の2篇が収録されていて、そのどちらにも「創造と経営」がいかにむずかしいかに言及がある。
もし、もっと高田賢三に寄り添い、作品群を大切にしてビジネスを展開するパートナーがいたら……と考えるけれど、グローバリズムに飲み込まれていく世界でうまく立ち回れたかはまったくわからない。

パリでそのセンスを見出され、さまざまな人と交流するなかで磨かれ、インスピレーションを得て世界中に愛された高田賢三。失意から再起途中の死だったことが悔やまれる。


※高田賢三の「高」は、はしごだか。
※ちなみにAmazonでは出版社からの納品はない(=絶版)の模様。服飾関係の本は爆発的に売れないせいか、部数少なめ、早くに絶版になることが多く悲しい。
※NHKで放送した「追悼 高田賢三~純粋に服を愛し 純粋に人を愛した~」がもう一度観たい。再放送希望。


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