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【音楽あれこれop.5】 祝生誕200年!運動会によくいるアノ人のアノ曲。

寒くなってきましたねー。

今回はちょっと季節外れの「運動会」の話題。皆さん運動会と言えば、って曲ありますよね?そう、アレです、アレアレ。

《天国と地獄》

(あの曲は7分過ぎから。)

定番ですよね。聴き始めたら目の前で体操服姿の子供達が走り出して、「赤組さん頑張ってください」なんてアナウンスも聞こえてきて...。懐かしい!

でも皆さん、この曲の作曲家の名前ご存知ですか?え、興味ない?そんなこと言わないであげて下さい。

作曲者の名前は

ジャック・オッフェンバック(1819-1880)

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何故この人を今日紹介するのかといえば、そう、

生誕200年

だからです。めで鯛めで鯛。というわけで彼の事を少々、紹介したいと思います。

ドイツで生まれ、チェロのレッスンの為に10代でフランスはパリへ出てからはその生涯の殆どをフランスで過ごしました(最終的にはフランスへ帰化)。彼はその生涯で100曲近いオペレッタ*を作曲し、当時から超人気作曲家でした。その中の一曲が《天国と地獄》(原題《地獄のオルフェ》)だったのです。メロディーメーカーだったオッフェンバックは、当時の同じく人気作曲家ロッシーニ(1792-1868)から“シャンゼリゼのモーツァルト“とまで評されます。

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(1874年リバイバル公演の際のチラシ)

が、しかし、その曲中の風刺やばかばかしい快楽主義的内容は称賛と同時に、当時の知識人達から多くの批判も浴びます。小説家のエミール・ゾラは「オペレッタとは、邪悪な獣のように駆逐されるべき存在」と評し、作曲家サン=サーンスは自身の室内楽曲《動物の謝肉祭》の中の4曲目、「亀」で天国と地獄のメロディーをわざとめちゃくちゃ遅いテンポで使用して、オッフェンバックを皮肉っています。

動物の謝肉祭より第三曲「亀」


とまあ、結構賛否両論だったオッフェンバック。晩年にはオペレッタの人気は落ち込み、再起をかけてオペラ《ホフマン物語》の作曲に取り掛かりましたが、未完のまま亡くなります。しかし、彼の友人であり作曲家であるエルネスト・ギロー(1837-1892)が残りを完成させ、パリ初演では見事大成功を収めました。

うーん、オッフェンバックの作ったオペレッタは、当時のクラシックを聴くヨーロッパの人々にとってポップすぎたのかもしれませんね。

では、日本ではいつからあの曲が広まったのか。日本で《天国と地獄》として知られているは、オペレッタの中で使われている「序曲 第3部」です。“フレンチカンカン“等と呼ばれたりもしますね。

実はこの序曲、

オッフェンバックの作曲じゃありません。


え、って感じでしょ。

オッフェンバックが作曲したオリジナル版には実は序曲そのものが付いていませんでした。しかし、まるっきり関係ない音楽というわけではなく、ウィーン初演の際に、カール・ビンダーと言う人が劇中の曲をいくつか編曲して作成したものです。ダイジェスト版みたいなものでしょうか。この序曲自体が3部構成になっており、それがこのよく知られたこの曲なのです。

日本では1914年に(大正3年)に初演され、それ以降運動会や企業のCM(カステラとか)等、様々な場面で使用されています。


如何でしたか?皆さんもこの曲を聴いたら、少しだけオッフェンバックさんの事を思い出してあげて下さいね。


*喜劇的な軽い内容の歌劇作品。劇中に、オペラには殆どない「台詞」がある。喜歌劇や軽歌劇とも呼ばれる。


コロンスタジオライティング部

ライター: 青竹

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