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知らないって強い

自分の知っている世界というのは限られたもので、自分にとってスゴイことも、他の人にとっては大したことでなかったりする。

でも、逆もまた真なりで、自分がなにげなく出会った人や思いがけず経験したことが、意外と有名な誰かだったり、思いのほか貴重な経験だったりもする。

大学時代のある春休みのこと。
アメリカ東海岸に記録的大寒波がおしよせた。

ボストンの空港で足止めをくった私は、たどたどしい英語ながら必死に交渉して航空会社にホテルを割り当ててもらい、やってくる出迎えのシャトルバスを待っていた。

着いたのがもう深夜に近い時間だったし、日本便も来ないターミナルだったので、周りには英語しか聞こえてこなかった。

まだまだ雪は降っていたし、疲れ切っていたけれど、建物の中にいたらうっかりバスを逃してしまうかもしれない。
しかたなく極寒のバス停で、ぼんやり街灯に照らされ立っていた。足の指の感覚はもうなかった。

と、そこに、恰幅の良い短髪のアジア人女性がやってきた。
お互いただ視線を交わし、それ以上の気力はなく、ただボタボタと降り続く雪を見つめていた。
大きな国際空港のはずなのに、まるでそのバス停だけ世界から切り離されたみたいだった。

いいかげん沈黙が気まずくなり、私たちはどちらともなしに話かけた。

"Are you waiting for a bus to Holiday Inn, too?" (あなたもホリデーイン行きのバスを待ってるんですか?)

そんなような当たり障りのない内容だったと思う。
寒くてグルグルとショールを巻いていたし、どちらも口数はすくなかった。

と、その時、私は手袋か何かを落としてしまった。
「あらやだ」
思わず口からでた日本語。

「え?日本人だったんですか?」

相手の女性が日本語でいった。
えっ!
一瞬見合わせた後、二人して笑った。
と、まるでそれが合図だったかのように、シャトルバスがのろのろ運転で現れた。

ホテルのロビーでようやく解凍された私たちは、緊張もほどけ、お互いに帽子もショールも取り去って、おやすみなさい、残りの旅がうまくいきますようにと挨拶して別れた。

帰国して、なんとはなしにテレビを観ていたら、そこにあのボストン空港で沈黙の時間を過ごした女性がでていた。
テレビや舞台で活躍している芸能人だったらしい。

そうか、私が反応しなかったから、彼女は私を日本人だと思わなかったのかもな。

「知らない」ことが、意外な体験を運んでくれることもある。

15年ほど前。

ポーランドに住む友達を訪ねた帰り、成田空港でスーツケースがでてくるのを待っていた。

「長かったよなー。やれやれ。でも空港からトーキョーまで結構時間かかるんだよな」

と、革ジャンにジーンズ姿のガイジンのグループがやや離れたところで大声で話していた。

私はとっとと荷物の排出口のところに立っていた。
けれど、そのグループがいるために、ほかの乗客たちはターンテーブルの奥に進みづらくなっているようだった。
日本の空港という背景で、ワイルドで大柄で大声で話している革ジャンの集団はどうにも傍若無人に映った。

「おい、見ろよ。あそこにいるオンナノコの靴。ピカピカですげえロックだな」

そんな彼らが話しているのが、自分が履いていたDKNYのいぶし銀のハイカットシューズのことだと気づくのには少し時間がかかった。

私の目はようやく動き始めたターンテーブルに集中していて、山のように出てくる黒い楽器ケースの波に気を取られていたから。

自分のスーツケースも黒いから、うっかり見逃してはいけないし。

でも、大声でハハハと笑いながら、そのグループが一斉にこちらを向いたから、そのロックな靴とは自分のスニーカーで、笑われているのは自分のことだと気づいたのだ。

と、そのタイミングで自分のスーツケースが現れた。

私はスーツケースをターンテーブルから降ろすと、それを掴んで、グループの方にむいて聞こえるように英語でいった。

「この国では、わからないふりをする人のほうが多いけれど、意外とみんな、あなたが英語で言ってることを理解できます。だから、何を話すのか気をつけたほうがいいですよ」

六本木のバーや西麻布のクラブで、英語話者の男性が、ニコニコ笑う日本人の女の子を前に、「どうせわからないだろう」ともっとヒドイことを言っているケースも経験していた。
だから、自分の靴をちょっと冗談の種にされたくらいで怒る気はなかった。

けれど、なんとなく「日本人の女の子を軽く見ている口調」が癇に障ったし、この後日本に滞在するんだったらちょっとお灸据えといてやれ、くらいの気持ちだった。

ふんだ、いってやったぜという思いが強かったけど、ちょっと言いすぎちゃったかなとも感じていた。

だから、税関を終え、ロビーに出て、リムジンバスの時間を確認しているときに後ろから英語で声を掛けられたとき、本当にびっくりした。

「エクスキューズミー」

ぎゃっ。
でも、空港で人の目もあるし、まさか殴られたりしないよね。

「あ、あの。さっきのは本当に悪気はなくて。カッコイイ靴だなっていう意味だったんです。でもたしかに考えてみたら英語だし分かんないだろみたいな気持ちがあったとは思います。代表して謝ってこいといわれて」

そう声をかけてきたのは、背が高く、長髪のアメリカ人だった。

「お詫びにといったら、あれなんだけど、シブヤのCCレモンホールって知ってます?そこでやるコンサートに招待したいんだ」

CCレモンホールが渋谷公会堂の新名称だというのは知っていた。
会社のすぐ近くだが、行ったことはない。

「俺たちのバンド、けっこう知られてると思うんだけどな。知らない?」

名前を聞いても、知らなかった。

怪しいと思う気持ちはわかる、だから、日本のエージェントからチケットについては連絡をいれてもらうので、メールアドレスだけでも教えてくれといわれ、渡した。

そうはいったって、その場しのぎの話でしょ。

だから、数日後、よく聞く名前の興行会社の方から非常に丁寧な「お詫びとしてコンサートに招待します」という連絡があったときには驚いた。

「っていうことでね、アメリカのバンドらしいんだけど、知ってる?一緒にいかない?」

クラシックコンサートくらいしか行かない私は、渋谷公会堂ほどの会場で演奏するならそれなりに有名なバンドかもしれないと思って、アメリカ音楽に詳しい友達に訊ねた。

「えええ、懐かしい!昔、ビルボードナンバーワンになった曲、覚えてない?有名じゃない!」

うーん。思い当たりません。

逆に言えば、私が知らないといったからこそ、その有名らしいバンドのひとたちは自分たちのコンサートをみせたかったのかもしれない。

その友達は予定が合わなかったし、一人で行くのもどうかと迷った。
が、なんせ会社のすぐ近くだし、お詫びも丁重だったので、好奇心も手伝って、渋谷公会堂までそのコンサートを観にいってみることにした。
ビジネススーツで。
しかも翌日からマレーシア出張だったので、パソコンや資料がガッツリ入ったぶ厚いTUMIのビジネスバッグも持っていた。

まったくもって、ロックじゃないスタイル。

会場に入ると、招待された席は音響機材のすぐ後ろだった。

「あ!来てくれたんだね!」

その機材ブースにいたアメリカ人が、私に気づいて声をかけてきてくれた。
どうやらあの時空港にいたひとりらしい。

「ちょっと待って、来たら裏に呼んできてっていわれてるんだ」

そういって、マイクでなにか連絡すると、舞台の袖から別の人が現れて、私をステージへと連れて行った。

そこに続々といろんな人が通りかかっては「お、ウェルカム!あのときは嫌な思いさせるつもりはなかったんだよ。今日は楽しんでいってね」とあやまってくれた。

そうか、あっちからみたら、きっとキビシイことを言い捨てていった印象だったんだろうな。
そう思うと、ちょっと申し訳ない気持ちになってしまった。

コンサートは、ギターのテクニックがすごくて、楽曲を全く知らない私でも、とても楽しかった。
そういわれてみれば、一番観客が盛り上がっていたバラードは、なんとなく聴いたことがあるような気もする。

コンサートが終わると、音響スタッフと共にふたたびステージ裏に連れていかれた。
そこはシャンパンやビールが置かれ、簡易パーティー会場のようになっていた。
うす暗い部屋の中で、若くて細くて露出度の高い服を着たモデルのような日本人の女の子が何人もボーカルの男性たちを取り巻いていた。

すごーい。
マンガとか映画にでてくるロックスターの世界じゃん。

あまりに予想しなかった展開が続くので、私はあっけにとられていた。
まいったな、明日の成田エクスプレス、朝早いのに、と思いつつ、音楽と喧騒とがまじりあう部屋の端っこで渡されたお酒を飲みながら人間観察を楽しんでいた。

ビジネススーツにビジネスバッグを抱えた私は、逆に、パーティーにいるひとたちには異種細胞のように映っただろう。

芸能の世界にいるってこういう感じなんだなあ。

「明日からマレーシア出張なのよ。このあとの日本ツアーもがんばってね。グッドラック。めったにない体験をさせてもらってありがとう」

その時もらったサイン付きCDがなかったら、現実感すらなかったかもしれない。

その後、意外といろんなところで彼らの曲に気がつくようになった。
たまたま出張でブラジルにいったとき、リオのショッピングセンターで、彼らの曲が流れてきたことがある。

ああ、本当に世界的に知名度のあるバンドだったんだ。

そんなことを書きながら、ふと思い出した。
ミネソタにいたころつきあっていたボーイフレンドは、かつてプリンスの衣装デザインやスタジオの内装をしていた。

当時よく彼は「ペーズリーパークでは」という話していたけれど、それがプリンスのスタジオを指すのだとは知らなかったのだ。
もちろん、プリンスという紫色の好きなアーティストのことはなんとなく知ってはいたけれど、リンクして考えもしなかった。

あのときボーイフレンドが大切にしていた奇妙な形のギターは、きっとすごい価値あるものだったんだろう。

そんなことも、興味がなければ、知らなければ、それはまったくどうでもよいことになるわけで。

でも、知らないがゆえに、いろんな経験をできることもある。
人生っておもしろい。



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