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ひとくち日記:ライブ

知人とD’ERLANGERのライブに行った。

実は私はあんまりD’ERLANGERの曲を聞いたことがなく、知人のオススメで何曲か聞いた程度の浅い知識のままライブに向かった。

若干「全然曲知らないけど大丈夫かな」と思ったりもしたが、ほとんど曲知らないままライブに行くっていう縛りプレイの中でどれくらい自分に刺さる曲があるのかを探す冒険もそれはそれで好きだったのでワクワクしていた。

ライブ当日、豊洲PITの会場に入りコインをスタッフの方から受け取ると徐々に「ライブに来たんだ。」という実感がわいて妙に胸がそわそわする。
私にとってライブって不思議なもので、行くまでは全然現実感がない。気持ちがぼんやりしてどこか現実感がないままライブ当日になって、会場に入ってやっと意識がはっとする。

人の囁き声、ライブ前に爆音で流れてる洋楽、機材の確認をしているスタッフさんが薄暗いステージでうごめいている姿など、色んな動きや空気に沢山の感覚が刺激されることで頭の中の靄が一気に晴れて身体が重さを取り戻していく。

ライブ会場の中で多くの人の興奮と期待の匂いみたいなのが充満しているのを感じられる事が愛おしくて「ライブ会場ってやっぱいいなあ…。」としみじみ思った。
また、声が出せないということもあって、ライブグッズに光るマラカスやタンバリンなどの音の出るグッズが出ていたことに結構感心した。他のバンドのライブでもあるのかな?めっちゃカラフルで全てがダンスフロアになるから最高。

既にライブが始まる前から色んな事にぐっときてしまっていたんだけど、ライブが始まってからはもっとすごかった。

ステージに演者が現れた瞬間、殆ど知らなくてもその存在感に身震いした。写真は見たことあったけど、貫禄のある堂々としたメンバーの姿に「えッかっこいい…。」と本気でドキドキ。

そして、ドキドキしてるうちに初っ端から濃ゆ~~~~い音圧に神経をぼこぼこに殴られ「アーッ!?!??!?!?」と叫びそうなのを堪えながら曲を聞いた。あまりの爆音に体の中の神経がマックシェイク状態になって後半ちょっと立てなくなるレベル。(わりとガチ)引きこもりすぎて足腰弱ってたのもあったと思うが。

ボーカルのkyoさんはCDだと艶めかしくてうねる紫煙のような声が印象的だったものの、ライブで聞くと艶っぽさにパワフルさマシマシで度肝を抜かれた。ずっと長年歌い続けてるからこそ出る迫力だと思う。声に厚みがあって強い(?)シャウト凄すぎて呆然としてしまった。ぽかん。

長年活動を続けているからこその迫力というのはボーカルだけじゃなくてバンド全体にも言えて、とにかく終始音に圧倒されまくる。

腹や身体の随所に重く突き刺さるドラム、足元から伝ってきて全身に響いてくるベース、繊細でありながらもガリガリと魂削るようにかき鳴らされるギター、その全部がライブから離れて久しい身体に叩きつけられて、脳みそが吹き飛ぶような感覚がした。激しい音の波と明滅するライトに意識が何度か飛びそうになったし、鮮烈な体験をしたと思う。

そんな音の波に感覚を殴られる体験の中で、ライブというものは大げさかもしれないけれど、私の命を重くしてくれる場所の一つだと感じていることを思い出していた。

いつもふわふわと浮いている私の心とか頭の中で「もうこの世とおさらばしてしまおうかな。」という考えが付きまとっているけれど、ライブでファンの人やアーティストの熱意や生命力に触れると「死んでる場合じゃないなこれは。」と自分の命を大事にする気になる。もっと生きてこの熱に触れたいなって思わせてくれるのはやっぱりライブ。私の灰色で今にも停止しそうなイマジナリー心肺を蘇生してくれるのはあの場所なのだ。ライブって、私にとって魂のAEDなのよ。

今回久方ぶりにそれを再認識したし、まだまだ状況は良くならないけれどライブの中にある生命力が絶やされちゃいけないようにも思った。色んな制約の中で音の中にある命を繋いでくれていることに感謝を述べたい。

祈るばかりで救われることはないかもしれないけれど、それでも祈らずにはいられない。演者や、演者を応援する多くの人達がどうか幸福であってほしいと切に願うことをやめられない。そこで生きている人たちのエネルギーがとても好きだから。無駄だとしても祈らせてくれ。元気玉。

MCでも言われていたが、ツアーは追加公演があるとのことで今後も無事に走り切ってほしい。

最後に、私の感覚を全部奪ってくれてありがとう。当分外に出る予定がない中でおかげで生き延びて行けそうです。


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