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90年代ヴィジュアル系は、私にとっての神話だ

近頃、ヴィジュアル系の歴史やヴィジュアル系についての論文や文献などを読んでいる。それらを基にして、自分なりにまとめや感想みたいなものを書いている。

自分のまとめや感想を読んでいると、自分がいかに90年代ヴィジュアル系を神話的目線で見ているのかがよくわかる気がした。

私は「90年代ヴィジュアル系黄金期を生きられなかった人間」である。いつも文献や過去の資料映像を見て、「私が生きられなかった時代」に思いを馳せて、「私もその激動の時代を生きて見たかった。」とため息をついてしまう。

きっと、その当時を駆け抜けた人からしたら食い違うかもしれないが、私個人としての主観においては、いつみても「90年代」はバチバチと火の粉が飛ぶように熱くて、ギラギラと輝いているように見えた。

今も過去の映像の中のファンや過去のアーティスト達にときめき(今の姿にもときめいているけれども)、焦がれている。私には、90年代のヴィジュアル系シーンは炎のようにごうごうと燃え盛っているように見えるのだ。

ただただ、その時代を生きて見たかった。今の様にスマートフォンもパソコンもない時代で、なけなしのお金で雑誌を買って切り抜いてコレクションしたり、推しに影響されてベースを初めたり(今もうやってるけど)、とにかく90年代を駆け回りたかった。私も、燃え盛って散り散りに焦げ散らかしてやりたかった。

私にとって90年代ヴィジュアル系とはまさに「燃え盛る神話」である。今もなお燃え盛る、美しいアーカイヴ達が愛おしい。

過去の映像や資料を見る事は出来ようとも、その時代はお金で買えない。それが惜しい。そして、その時代を生きた人たちがうらやましいし、酷く尊敬の念すら感じる。

きっと、当時その時代を生き抜いた人たちからしたら色々な事があった時代だと思うけれど。きっと美しい事ばかりではなかったのだと思うけれど。でも、それぞれから「こんな事があった」と語られる言葉の数々は、私にとっては宝石のようにまばゆく光っていて、私を恍惚とさせる。

「そ、そんな事があったのですかぁー!?!?」と驚くのが、非常に楽しい。神話たちが、色んな世界を見せてくれるのだ。だから、どれもこれも、かけがえのないもので、ありがたいものである。

これからも、色んな世界を見るために、「私が生きられなかった時代」に恋い焦がれて生きていくと思う。出会えなかった日々を追って、あちらこちらへ奔走して今を消費していくのだと。

でも別にそれで良い。私だけ時代に逆行しまくって、同年代と全然話合わなくたっていい。構うものか。私は私の青春を生き延びたい。

神話を追う為に私の人生消費させてくれ!

今日はそんな気持ち。

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