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ひとくち日記:休む、絵を描く準備をする。

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今日はやたらに気持ちが疲れてるなあと思って、結局思いっきり休むことにして太陽を浴びた。

しばらく太陽に焼かれるコンクリートを見ていて、ふと「絵を描きたいなあ」と思い立って画材屋までアクリル絵の具とキャンバスを3年ぶりくらいに買いに行った。

最近はほとんどデジタルイラストだったりスケッチブックへの落書きばっかりだったけど、久しぶりにキャンバスの質感やアクリル絵の具で悪戦苦闘しながら彩色していく感覚が急に恋しくなった。

実は疲れてれば疲れてるほど、何かやたら買いたくなるのと同時に、絵を描きたくなることも多い。

ストレスの発散というか、ほぼ無意識てきに自分の感情や抱えているわだかまりを絵に表現している。漫画とかもその一環で、絵を描くことがある種の延命治療に近い。

しかし、実は絵を描くという事から距離を置いた時もあった。距離を置く少し前、当時は絵を描くということが、誰かと競い合うレースとなってしまっていたからだ。

とにかくひたすらに「どういう絵を描けば他人の目を喜ばせられるのか?」ばかり考えすぎて、次第に自分の描きたいものがわからなくなった。

そうして、結局自分本位ではじめたはずの絵が他人本位になってしまうのが耐えられなくて、距離を置いた。とにかく、レースから外れたかった。自分の意識を他人から無理矢理にでも引き剥がしたかった。

でも結局今も私は最終的に絵を描いている。何はともあれ、無我夢中で絵を描いてしまっている。

自分の絵じゃ食えないとか、他人が羨ましいとか劣等感だとかなんだとか関係なく、心の救済のために「絵を描くこと」が私には必要なのだと勝手に動く手や頭を見ながら思う。

他人と競い合って絵を描くのもそれはそれで楽しい事もあったし、上手くなろうと切磋琢磨したからこそ今がある。それは否定しない。

ただ今は、何を選んで描いても、自分の満足のために絵を描けて「これでいい」とにんまり笑えればいいやと思うようになったことでかなり息はしやすくなった。

それに、千切れそうになる心の琴線を繋ぎ止めるために絵を描いている今が普通に楽しい。創作が、再び生命維持の一部となっている。大げさに聞こえるがマジだ。

そういう他人本位から距離を置いた「純粋に今ある自分の感情を絵にする」という行為への回帰を幸せに思う。けど、燃えるような野心があった日々を愛おしくも思う。どちらもかけがえのない私の人生の一部である。

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とりあえず今は一旦心を休め、様々な慌ただしさに一区切りを付けたら制作に入る。まず片付けるべき事を片付けてからのびのびと絵を描きたい。(でも構想は練り練りしておく。)

生きる希望やゴールを自分から作ることで、生命維持をはかる。それが今の私の生存方法だ。

本日はそのようなかんじで。


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