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ひとくち日記:ネガティヴに追いつかれたくない私。

「貴方が頑張る理由は『ネガティヴに追いつかれたくない』から」

私が好きでよくチェックしている占いに書いてあってとても印象に残った言葉だ。やけにしっくりきたというか「これだ。」と思った言葉。

私がnoteでなるべく自分が考える明るい話題(推しの話とか)を書こうとじたばたしているのは、やっぱり「ネガティヴに追いつかれたくない」という気持ちが大きい。

割と追いつかれてる時の方が多いけど、だからこそというか、何度もネガティヴに追いつかれたり追いこされたりしているからこその悪あがきでもある。

一人でいる事が多くなったからこそ、自分の感情の傾きを生々しく感じるもので、「元気でいたい」「笑顔でいたい」という気持ちと「もうこの世界生きてる意味ないしいなくなりたい」という気持ちをぐるぐると目まぐるしく行き来している。

そうして行き来しているうちにネガティヴに追いつかれてはドブに沈み、「推し」というか細い糸を辿って這い上がる。という繰り返し。

半分そういうもんだと割り切ってる反面、でもネガティヴを完全に否定するのも違うかなと思っている。確かに私はネガティヴに追いつかれたくはないけれど、ネガティヴとポジティブどっちもあることで自分のバランスが保たれているような気がしているのだ。もし、ネガティヴが完全に無くなったら私は私ではなくなる気がする。

「絶対追いつかれたくない!」と必死になっているけど、もう追いつかれたら一旦諦めて「しゃーない。」と静かにネガティヴが溢れるままに身を任せる。すると意外にネガティヴな時ほど実は文字が踊ることもあるし、現実逃避の為に絵も描くし、まだ不慣れな楽器に無意識に手が伸びるような事が結構ある。

昔はネガティヴな気持ちをそのまま呪詛のようにSNSに書き連ねていた日々もあったが、ある時ふとそういうネガティヴな激情や生傷を顔見知りに晒すことが嫌になってSNSを辞めた。

激情を更に掻き毟るような言葉は結局負のエネルギーのループしか生まない事を察し「このエネルギーもうちょっと別の事に使いたいなあ」と思うようになった。そして、そこから今の自分の「ネガティヴな時にやたら手を動かす」という無意識なルーティーンが作られている。

たまにnoteでも呪詛っちゃうこともあるけど、大体下書きしてる時点で「これは呪詛ってんな。」と気づいて、でもとりあえず気が済むまで書き切って消すことが多い。
とりあえず溜まったエネルギーを出し切ってから、余計な力を抜いてからこれからのことを考えるみたいなスタイルが自分のメンタルの健康には良いのかなあと思う。

なので、最終的にネガティヴに追いつかれたらなるべく人と距離を置いて絵やら創作小説やら楽器やらといった「自分がひたすら熱中できる時間」にエネルギーを費やするようにしている。

必ずしもネガティヴが「絶対悪」ではなくて、要するに「ネガティヴに追いつかれた時の付き合い方」によるのだなと思う。ネガティヴな気持ちの使い方というか、ネガティヴをどうエネルギーに転換していくのか?が大事なのだなと感じる。

追いついてきたネガティヴを何かに熱中することでエネルギーに変えて、そしてまたネガティヴに追いつかれたらまた何かに取り組んで、というのをやっていくと段々「まだやり残してる事あるから死ねないな。」になってくる。私の場合は。

そして最も大事なのは「追いつかれたくねえ!もし追いついてきたら別の方法で自分を守るからいいもん!!!」とじたばた頑張る私を褒めてあげることだと思う。じたばたして、自分の美学を突き通そうとする自分に優しくしてあげる事も必要。

というわけで今日はもう夜更けだけどマウントレーニア(私の中のご褒美)を飲んで毎日生きてる自分をねぎらおうとおもう。

自分を甘やかしてなんぼの人生よ。

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本日はそんなかんじで。

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