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ひとくち日記:その日私はロックスターを見た。

2021/10/29、清春さんの誕生日前日ライブ「The birthday」に行った。

いつもはライブに行く前は「アーティストの音を生で体験する(推しに会える)」ということに実感がわかず、楽しみなのかなんなのかわからないような不思議な気持ちで過ごすことが多いのだが、今日は行く前から割とわくわくしていた。色々野暮用も重なって遠足前の子供のようにときめきが煌めいて眠れなかったほど。

清春さんは、私が人生の中で一度はライブに足を運びたいアーティストの一人だった。

オンラインライブや、黒夢やソロのライブDVD、ライブ収録したCDなど色々聞いてきた中で「この人のライブに行ったらきっと美しい音を聞けるのだろう」と感じていて、機会を伺い続けて三千里…今回運良くチケットが手に入り、初めて恵比寿ガーデンプレイスに足を運んだ。

私はアーティストの作る甘い蜜のような音楽を啜るために多方面に手足を伸ばしているので、清春さんのソロアルバムをすべて網羅している訳ではなかった。
ちょっぴり不安もあったが、私は曲をあまり知らずに先にライブから入って自分がハマる音楽を探すという縛りプレイをするのが好きだ。だから今回も似たように「知らない曲にも耳をそばだてて、その未知な魅力を吸い取ってやろう」という野望のままライブに行った。いつだって、知らないことを多く抱えたまま生の現場に行くことで「曲との運命の出会い」を求めている。

ライブは初っ端からとてもよかった。ステージに清春さんが現れ、その背中を見た時ぶわっと全身に鳥肌が立つような感覚がした。少し前にもライブに行ったときに、アーティストがステージに現れた時の「その場の空気が一気に変わる様な圧倒的な存在感」に触れたことがあるが、清春さんの時もそれを感じた。当たり前だが、やはりあの人はステージの上の人なのだと感動した。

曲においては私が清春さんのアルバムの中でも一番好きな「JAPANESE MENU」からの曲が多く選曲されていたのが個人的に嬉しかった。「ミリしらで運命の曲と出会おう作戦」をしている身ではあるが、とはいえ聞きなれた曲が目の前から掻き鳴らされ歌われる、というのは至高に変わりはない。CD音源を越えた領域に触れるということは早々お目に掛かれる体験でもないのだから。

今回は「ガイア」などの新曲も披露された。私は意地でもCDで買いたい派なので会場でシングルを購入して「家で聞くの楽しみだぜ!」くらいの気持ちでいたのだが、会場で先に聴けたこともあり「買ってよかったぜ…。」の気持ちに変化するなどした。

ここで少し話が逸れてしまうのだが、どうしても書いておきたいことがある。それは今回購入したシングルのデザインがとても良いということ。個人的に最近見たCDの中で一番好きなデザインだ。

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紙素材のパッケージに赤と黒の糸が縫い付けられており、糸はまるで整えることが放棄された髪の毛のようにパッケージの外に無造作に伸び出ているという仕様。

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「紙と糸」という絶妙な相性の二つがあわさる歪で繊細な美しさはあまりに私の好み過ぎて、それも含めて「買ってよかった…。」と思ったのだった。手に取って縫い目に指を這わせていると非常に興奮を覚える。好きだ。(直球)

さて、話をライブに戻す。私は生の音やライブという異空間から得られる幸福に非常に固執している人間なのだが、今回も例にもれず堪能してきた。

ギターの虹のように多彩に移り変わる音に心臓をえぐり取られ、ドラムの新鮮な野菜にも似た瑞々しい音に耳で喜びを感じ、二つの楽器と混ざりあう掴みどころを知らない妖艶なボーカルに翻弄されて、とても満足である。

私の中で印象的だったのは清春さんが度々ライブ中に「ロックンロール」と口ずさんでいたことだ。ロックンロールという言葉を、彼は自分のモノにしていた。それは使い古されたものでも、二番煎じでも、ありきたりでも、誰のものでもなく、清春の「ロックンロール」だった。

それだけではない。音の中でリズムをとる姿やステージで煙草に火をつける仕草、MCでゆるゆると次々に紡がれる言葉の数々から「ロックスター」という存在がにじみ出ていた。圧倒的な存在感、ため息が出るほど素敵だった。

これは全て個人的な主観に過ぎないが、清春さんから「清春」というアーティスト像が明確に存在している事を感じた。彼は明確なプランニングで「清春」を作って、描いて、生きている。

私は清春さんにはやはり「ロックスター」という言葉が似合うのだと思う。今となっては古い言い回しなのかもしれないけれど、確かに彼はロックの星だ。紫や金色、「清春」という色に光る星だ。あんな風に自分の存在をはっきりと体現するのは中々できることでは無い。

いくら世の中が馬鹿みたいに個性だ個性だと騒いだって抜きんでる事は難しい。自分を自分として体現する力が多くの情報によって育成されながらも阻害される。それらのことがありありとわかりきった世の中で「清春」は確実にアーティストとして独立し、浮遊して、時には音楽になり、時には言葉、時にはファッションになり、様々な形となって世に現れている。それに触れられるのは幸福だ。

私は何十年も追っているようなファンの方々には到底及ばないような人間であるが、今回何十年という積み重ねの一部を拝見出来た事はとてもありがたい事だと思う。心から楽しかったといえるし、また一つ勉強が出来たというか、「清春」というアーティストの存在感に触れて自分の中で鋭敏な部分の感覚が研ぎ澄まされたように感じている。

今日は清春さんの誕生日当日であり53歳という年齢の幕開けの日だ。どうか今後も「清春」というアーティスト像を貫いてほしいと思う。そして、ロックスターであり続けてほしい。勝手な願いかもしれないが。

圧倒的な鈍く激しい輝きを持つ「清春」が唯一無二の存在であることを体感できた素晴らしい一日に巡り会えたことに感謝し、この文章は終わりとする。

どうか今日と明日を積み重ね、素晴らしい一年へと繋がりますように。

本日はそんな感じで。

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