シャンプーで身体を洗った日

風呂に入る。

疲れてたり、気分がイライラしてどうにもならなかったり、やけに気持ちがハイになって喚きチラして部屋でジタバタしていても、大抵一旦温かいお湯を浴びると気持ちが切り替わって荒んだ心が静かになる。

風呂って不思議だ。心神の浄化とかが起きてるんだろうか。
よくよく考えると、シャワーって家で行えるプチ滝行みたいなものだとするなら確かに身体の汚れに限らず心神の色々なつきものが落ちるような行為であるとも考えられよう。

「シャワーって家でできる滝行では?」というのは私の単なる戯れ言だが、とはいえ世の中には「風呂は命の洗濯」みたいな言葉があるほどだし(アニメの中の造語ではあるけれど)、やっぱり風呂って入るべきなのだなと思う。例えシャワーでも。

かくして今日も気持ちを切り替えるために風呂に入る。頭痛すぎてどうにかなりそうだったので、とりあえず風呂に入りたかった。
水に打たれながら「今後の予定どうしていこう」とか、「描きたい絵のアイデア風呂から出たらメモしなきゃな」とか様々な煩悩が頭を過る。

そんな考え事をしながら身体を洗うためにボディーソープが置かれた棚に手を伸ばした。
だが、私の手はボディーソープの隣に置いてあったシャンプーの頭を押していた。掌にシャンプーの液体が落ちてくる。

やらかしたわ。既に髪の毛は洗濯済み。髪の毛二度洗いという選択肢も残っていた。
けど、私は結局掌に溜まったシャンプーの液体を身体に塗りたくり始めた。

お湯に流すの勿体なかったし、髪を再び洗うのも選ばず、今日は身体をシャンプーで洗うことにした。

シャンプーで身体洗うのって別にこの国では違法じゃないからいいだろと思ったから。

単純に考えごとしてて押し間違えたんだけど、たまにはいつもと違う行いをしてもいいだろう。
決められたルーティンが全てじゃないし、こんな日があってもいいのだと許すことも大事だと思って、シャンプーで身体を洗う。

いつもと違う「シャンプー」という液体で身体を洗っているので、「ボディーソープとの違い」意識的に探りたくなって、液体の泡立ちなどに感覚を研ぎ澄ました。

さっきまでぼんやりしてたけど、シャンプーの押し間違いでかなり意識が戻ってきたこともあり、尚更感覚が冴えている。

脛の見慣れない痣、足の肉、爪、血管の浮き出た足の甲、これ全部私のものか、とシャンプーで洗いながら冷静に思った。

そこで私は、風呂は命の洗濯でありながら、何の装飾も存在しない自分を見つめる時間でもあるのだ、とふと気付いた。

その時間の中で何の装飾も無い自分を見つめてどう思うかはそれぞれだ。だが、「醜い」と拒絶するよりも「生きてかなきゃならんのだな」と半ば諦めのような薄笑いが出来るくらいの精神状態でいられたらいいなとおもう。

ボディーソープとシャンプーを押し間違えるような私と、私のための世界に一つしか無い肉体。

これと一緒にもうちょっと生きていこうと、小さな決意が再び心に火を点ける。

風呂から上がってみると、肌からはほんのりボディーソープとは違う甘ったるい匂いがした。


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