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ひとくち日記:生きるとか生きてるとか

ふとぼんやりしてて、思ったことをかく。生きるとか生きてるとか、そういうことを。

私の場合、生きてる意味なんか最初から何処にもなくて、生きてる意味は自分から作ってくしかないのだなあと思う。

「この世に生を受けること=生きる」とかもある。けど私にとってはそれは生きてる事じゃない。この世に生を受けながら死ぬことだってありえる。死んだまま生きるとか死んでるのか生きてるのかわかんないとか。そういう言葉はたくさんある。

それはやっぱり自分なりの生存の意味とか価値の損失から生まれた言葉なのかなあと思う。だから、「生きる」とは単に「生を受ける」とか「呼吸が出来る」とか、そういうことではなくて「生を受けたことに意味を見出すこと」や「呼吸が出来ることに自分なりの価値を感じる」ことだと思うのである。個人意見。

誰かに「生きる」の意味を求めるでもなく、定義的な生きるとか義務に何も考えずに従うのではなく、自分から意味とか価値を見出さない限り「生きる」の意味なんて存在しないし、「生きてる」なんて無い。私にとっては。私にとってはだけど。

私がよく思う「この世に推せるものがなくなったら終わり」というのは、つまり「生きる」を失うこと。価値も意味も見い出せなくなったらそこに「生きる」はもうなくなる。たとえ呼吸をして生を受けたままでも、それはもう死んだのと一緒。死とは、肉体の消失以外に、生に対する価値や意味の消失をも指すものだと思う。

私はまだ、ありがたいことに死んでない。時々、もう終わりたいなという気持ちになっても、まだ私は生きている。

撮りたい写真、会いたい人、書きたい文字、行きたい場所、色々たくさん「生きる」がある。だから生きてる。

このまま肉体が失われるまで、「生きる」がなくならないといいな。まだまだ、今は生きるを探してたい。

きらきら輝いて、生きるをたくさん見つけてくぞ〜。

本日はそんな感じで!

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