開悟日記 5 怒りについて

先週も母が怒り狂った。

昔から一日一箱は煙草を吸っている母だが、今もそれは続いている。

煙草はできるだけ換気扇の下で吸ってもらうようにしているのだが、たまたまブロッコリーを茹でたのを冷ましている真上で母が煙草を吸っていたので、私が「ブロッコリーの上では吸わないで」とブロッコリーの入った容器を別の場所に移動したらそれが気に障ったらしい。

母は「こっちはもう何十年と好きなように煙草を吸ってるんだよ!」「あんたにとやかく言われる筋合いはない!!」と怒りまくり煙草と灰皿を投げつけた。

私が「ブロッコリーに煙がかかるから食べ物の上では吸わないでと言っただけだよ。別に煙草を吸うなとは言ってないよ」と説明するが、「うるさい、うるさい、うるさーい!!!」と大声で狂ったように叫ぶ。

そして通帳と財布をカバンに入れ、イライラするから出かけてくる。
後ろからついてくるなと怒鳴り散らして出て行った。

いつも母は道の真ん中を歩く癖があり、前から来る車は避けることが出来るが、後ろから車が来ても気付かないため、私が護衛のように後ろから歩き、車が来たら母に知らせるようにしている。

しかし今回は、私もどうでもよくなってしまい、母の後を追うこともしなかった。

もうどうでもよい。
何だか全てがバカらしく思えてきた。

一時間半くらいして母は、沢山のお菓子と煙草を買って帰ってきた。


午後からは兄夫婦が弁当を作って持ってきてくれた。
毎週日曜は母の為に手作り弁当を作ってきてくれ、一緒に昼ご飯を食べて帰っていく。
母は日曜日を楽しみにしているようだ。

しかし、兄の前では良い母親でいたいのかもしれない。
良い子供と嫁を持ってお母さんは世界一幸せなどとおどけてみせる。
私の前で見せる態度とは大違いだ。

私は母のそういう調子のよい態度にも疲れた。

その日は母が髪の毛を切りに行きたいと兄にねだっていたので、兄に任せて私は気分転換に映画を見に行った。

映画から戻ると兄夫妻は帰っていて、母が一人でお菓子を頬張っていた。

私は気持ちがすぐれないため、母に買ってきた弁当だけ食べさせて、風呂に入ってすぐに自分の部屋に戻った。


こうして毎日が過ぎていく。
私は自分の中から湧きあがってくる怒りや悲しみをどう受け止めていこうかと考えていた。


そんな時、あるYouTuberさんのチャンネルで怒りについての話を聞いた。
怒りには、良い怒りと良くない怒りがある。

良くない怒りとは、こうあるべきという自分のマインド(ルール)からくる怒り。
人間は誰しも、こうあるべきというようなマイルールを持っている。
例えば時間に厳しい人は、5分でも遅刻してくる人を許せなかったりすると思う。

マイルールに反するから怒りが起こる。
しかし、この怒りは手放すことができる。

手放すのはマイルール。
どのルールが反応したのかを確認してみると、自分がこうあるべきと思いこんでいるだけだったりする。

私も自分にあてはめてみる。
母は昔からマイルールが激しい。
しかし、そのルールは私から見たらおかしなルールばかりだ。
きっと、母も同じように私の事をおかしいと思っているのだろう。

自分の常識は他人の非常識だったりするものだ。


その逆で大切な怒りもある。
大切な怒りとは自分を大切に思うがゆえに湧いてくる怒り。

これは健全な怒り。
自分を大切に思っていれば、この出来事は自分の価値に値しないと正当な怒りが湧いてくるという話だった。


この話を聞いて少し気持ちが楽になった。
以前母に侮辱され、母の胸倉を掴み泣きながら叫んだのは健全な怒りだった。

しかし、日常湧いてくる怒りは、マイルールを母にかき乱されて起こってくる怒りが多いかもしれない。

母と私は宇宙人と地球人のように昔から考えが全く異なる。
違うことが当たり前なのに、母は理想の娘と違う私のことを否定し、私は理想の母親でない母のことを受け入れられなかった。

要するに似たもの同士なのだ。


不必要なマイルールを手放すことができれば、私はもっと楽に生きれるのかもしれない。

私は母の介護を通じ、自分にとって今一番必要なスキルを学んでいるのかもしれないな。






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