タイに来て鬱になった時のはなし

タイに来て2年が過ぎた頃、私はタイで初の転職をした。転職理由は給料が安いとか色々あったが、せっかくタイに来たので日本人ばかりの職場ではなく、タイ人と一緒に仕事をしてみたいという気持ちがMAXに達したからだ。

転職活動は大変だったが、タイ人を技能実習生として日本へ送り出す、送り出し機関に転職することが出来た。日本では技能実習生の受入れ先企業のブラックぶりがよく問題になっているが、受入れ先の会社はほんとにピンキリだと思う。私が勤めていた会社では組合を通じブラックな会社と契約を結んでも万が一何か問題が生じた場合、送り出し側も責任を問われ最悪5年の営業停止などの罰則がある為、会社選びはとても慎重だった。

私の仕事は受け入れ先企業との面接のセッティングや事務的なやりとり、日本へ行くことが決まった実習生へ日本語を教えるなど多岐にわたっていた。初めての経験で大変な事も多かったが、やりがいのある仕事で毎日がとても充実していた。

しかし、入社当時から社長のパワハラ体質に少し悩んでいた。社長はタイ人でも日本人でもない(その国の人を侮辱したいわけではないので国籍は伏せます)。本人は全くパワハラのつもりはないのだが、いいも悪いも正直な人で自分の不安やイライラなどをとても分かりやすく態度に表してしまうのだ。机をバンバン叩いたり、声を荒げてすぐ怒鳴る。さすがに暴力は振るわないがそれが日常だった。しかし怒鳴ることで自分のバランスを保っているのか怒鳴った事柄に対し、いつまでもネチネチとは言わない。そもそも怒鳴られるような内容でないことがほとんどなのだ。そんな社長の性格を知っているタイ人スタッフは大きな声で怒鳴られても慣れっこで、全く気にしていなかった。一人だけ日本人スタッフがいたのだが、腹立つことは多いけど聞き流すことが大事。でも無理は絶対にしてはいけないといつも私を励ましてくれた。

私も怒鳴られることは嫌だったが、怒鳴られる言葉よりも、その背景にある社長の不安や焦りの気持ちなどを強く感じ、社長も大変だなと静かに受け止めて出来るだけ聞き流すようにした。

怒鳴られることにも慣れてきたと思っていた頃、就業先の日本で実習生に問題がおこり、そのことで社長と言い合いになってしまった。私は普段、社長に言われたことに対し、強く言い返したりすることはあまりなかったのだが、あまりにも実習生やその家族の気持ちを無視した社長のひどい言動に、これは仕事として、きちんと意見を述べなければいけないと思い勇気を出して話した。しかし、そのことが社長の逆鱗に触れたらしく、いつもより何倍もの大きな怒鳴り声で、そしてものすごい形相で睨まれた。そして次の日より私は担当していた会社のほとんどの仕事を外され、社長から無視され続けた。

私は仕事として意見を述べただけなので言った事に対して、後悔はしていない。しかしこの頃から私の精神は段々とおかしくなってきた。正確にいうとこの事件が起こる前からかなり無理をしてたんだと思う。

まず朝起きるのがしんどくなった。体が重くてダルくて起き上がるのがつらいのだ。そして寝ても寝ても眠くてバカみたいに眠った。最初の頃は寝れないよりよいと、あまり気にしないようにしていたのだが、夕方家に帰りご飯を食べてすぐに寝てしまうのだ。一日13時間くらい。普段の睡眠が6時間くらいなので、2倍以上だ。そんな状態が1ヶ月以上毎日続き、さすがに何かおかしいと思い始めた。

そして出来ないことが少しずつ増えていった。趣味である読書や料理を作ること。大好きな音楽を聞いたり、YouTubeを見ることもしんどくなってきた。特に料理に関しては電気ケトルでお湯を沸かしたり、食器を洗うのもしんどくなってきたので、食事は外食かテイクアウトで洗い物が何もないものだけになった。

会社へは何とか行っていたのだが、仕事中自然と涙がこぼれてくることも度々あった。そして漫画ブラックジャックのように、いきなり白髪が増えた。そして何故だか右の頬だけが荒れてガサガサになった。今思うと笑えるのだが、私の席の右2つ先に社長の席があって、いつも右側から声が聞こえてくるので私の右頬がそれを拒否ってたんじゃないかと同僚が言っていた。あながち冗談じゃないかもと私も思った。

そんな状況であっても私がしばらく仕事を続けられたのは同僚や日本語を教えていた実習生達が私の心を支えてくれたからだ。私の席の真後ろの席にいたタイ人の同僚は私が後ろを向く度に何かあったのか?何も心配しなくても大丈夫だと励ましてくれた。そして日本人の同僚も、私のせいで彼女にも沢山負担がかかってしまっていたのに、仕事の為に自分を犠牲にする必要などない。仕事なんて何とかなるんだから誰かに迷惑をかけてるとか思わないで自分を大切にしてねと、いつも優しく私を守ってくれた。そして実習生にはさすがに会社の内部事情は話せなかったが、元気がない私を見て、先生大丈夫?私は先生が心配だと拙い日本語で一生懸命話してくれて、毎日果物をくれたり笑顔で励ましてくれた。

その時、体や心はしんどいのに不思議と私って幸せだなと感じた。そして皆のやさしさに涙した。

日本では街を歩いていれば、かなりの確率で心療内科を見かけるが、タイではあまり見ない。探せばあるのだろうが、日本のようにポピュラーではないと思う。だから私はそのような状況であっても病院には行っていない。あの時病院に行っていたら鬱という病名がついていたんじゃないかと思う。

皆と離れるのはとても寂しかったが、私は自分自身を守るために退職を決意した。このまま無理をしたら、しばらく社会復帰出来なくなってしまう。そう本能で感じた。

その後社長とも話し合いをして無事退職をした。社長からはカッとなって怒鳴った後、どう接したら良いのか分からなかった。決して意地悪をしたかった訳ではない。申し訳なかったと謝られた。私も短い間だったけどこの会社で働けた事に感謝していると正直な気持ちを話した。

その後、私はどうしたかというと退職後、タイを出国しなければならないので、一旦日本に戻った。そして2週間程実家でのんびりした。不思議と会社を辞めることになってから私は元気を取り戻してきた。そして観光ビザを日本で取得し、再びタイに入国した。

タイに戻ってからは自分を元気にすることに専念した。生活のリズムを崩さないよう、ほぼ毎日近所の公園に行き、朝からお年寄りの団体と一緒に太極拳をやった。そして公園内を散歩し、木の匂いを嗅いだり、花を愛でたり、オオトカゲが歩いているのを観察したり、そういう何気ない日常の中に幸せはいっぱいあった。

そしてYoutubeで漫画「アルプスの少女ハイジ」を見ることにハマった。クララが立ったと画面の向こうのハイジと一緒に喜び、街での良い暮らしを捨て、おじいさんの元に戻ってきたハイジとおじいさんの抱き合うシーンを見て涙した。

そんな生活を2カ月ほど続けていたら完全に心も体も元気を取り戻した。料理も作れるようになったので、退職した会社でお世話になった同僚2人を自宅に招待し、一緒に手巻きずしを食べた。タイ人の同僚は手巻きずしを食べるのは初めてだととても喜んでくれた。そして私が元気になったことを心から喜んでくれた。

私はこの経験を通し、元気な時には気付かなかった幸せを沢山感じた。そして心豊かな人は人を元気にする力を持っているのだと改めて感じた。豊かな心は伝染する。大変な時代な今だからこそ、人を思いやったり、地球を愛する豊かな心を伝染させたいと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?