開悟日記 4 壊れる。

母の介護認定の結果が出た。
要支援2から要介護3へと上がった。
市役所の人が来た時は、普段よりもしっかりとしていたのでもう少し低い認定かと思ってた。
しかしケアマネージャーさん曰く、入院していた時の主治医の意見書が重要視されたのではないかとのことだった。

そういうものなのか。
勉強になった。

先週は私の心が壊れた。
毎日理不尽なことで怒鳴られたり、私が貯金がないことを執拗に攻め立ててくる。
そんなストレスフルな毎日の中、人格を侮辱されるようなことを言われた。
心をナイフで切りつけられた気分だった。

ボケの症状と思うことに対しては我慢して聞き流すようにしているが、ボケではなく、元々の性格から発言していることに対しては聞き流せないこともある。
先週は私が貯金がないということをきっかけに全ての人格を否定し、攻撃してきた。

私は何の価値もない人間。

そういわれた気分だった。

きづいたら私は母の胸倉をつかんで謝れ!!と叫んでいた。
スローモーションで時が流れた気がして、自分でもやばいと思った。

母はすごい剣幕で何で謝らなきゃいけないんだ!!と怒鳴り返してきた。
こうして逆切れされる場面、過去に何度も経験した場面だ。

子供の頃から母の言葉や態度に傷つくことが多かった私は、大分大人になったある日、そのことを母に話したことがある。

あの時は辛かった。寂しかったと。
もちろん謝ってもらおうとかそういう気持ちは全くなかった。
ただ自分の気持ちを知って欲しかっただけだった。

しかしあの時も、何で今更そんなことを言われなきゃいけないんだ!とすごい剣幕で逆切れされた。
あー言わなきゃよかった。
そう思った。
その時の何ともいえない寂しい感情も思い出してしまった。

ダムが決壊したように私は涙が止まらなかった。
そして頭痛が激しくなり、吐き気がしてそれ以上話せる状況ではなかった。

母と言い合いになった数時間前、半日のデイサービスに母が出かけている間、私は近所の針灸マッサージへ行った。
そこのマッサージは針、指圧、整体、気功、カウンセリングなど患者の心身の症状に合わせて治療してくれるのでずっと行きたいと願っていた。

マッサージではストレスが原因で最近頭が痛く、吐き気がすることもあることを話した。
治療は指圧を希望したが頭がすごく腫れている(浮腫?)とかですぐに指圧をしても効果がないので最初に針をすることをすすめられた。

全身に30本以上針をさされ、全身から力が抜けていくのを感じた。

針治療をして頭が少し楽になったばかりなのに再び後頭部が激しく痛む。
私は頭が痛くてもうこれ以上話すことができないので今日は寝ると母に伝えるが、母の気持ちが収まらず「逃げるな!!!そこに座れ!」と怒鳴られる。

私はこれ以上母と一緒にいると私の心がほんとにやばくなると本能で感じた。
母に泣きながらさっきのことは謝るから今日はもう勘弁してくれと懇願するが母は許してくれない。

ほんとカオスだった。

母は続けて「あんたが今思ってること全部話しなさい!」と怒鳴る。
頭痛も激しくこのままでは私の心も完全に壊れると思ったので、私は手短に自分の気持ちを話すことにした。


昨年は1年間仕事をしないで学校に通っていたので貯金もなくなった。
だから給料の良い仕事を選んで働こうとした。
でもお母さんが元旦に入院して生活の手助けが必要になったので、仕事は断ってお母さんの手伝いをしようと思った。
これは私がお金よりお母さんの手助けをすることの方が価値があることと思ったからであって、誰かの犠牲になっているわけではない。
自分で決めて、自分のためにやっていること。

だからお母さんは元気になることだけを考えてくれればいい。
でも私はタイで怒鳴られたことが原因で鬱病になったことがあるから、怒鳴るのだけは出来るだけ辞めてほしい。

そう話すと怒鳴るってどういうこと!!とまた怒鳴られた。
コントのようだった。

そして再びお金がないことをしつこく言ってきた。

お母さん今の話し聞いてた?
お母さんは今生活の手助けが必要だよね?
誰がそれをやる?
私は仕事をするという選択肢もあるけど、そこで高い収入を得られたとしてもたかが知れてる。
私はそれよりお母さんの近くで手助けをする方が価値があるといってるんだよ。

たかが知れてるってどういうことよ!!!


あー頭が痛い。
この話しが通じない感じ懐かしい。
これはボケじゃなくて通常だよな。

私も限界がきたので、「お母さんの望むような子供じゃなくてごめんなさい。今日はもう寝ます」といって自分の部屋へ戻った。
さすがに逃げるなとは言われなかった。

私は泣き過ぎて目が腫れ、頭も痛くてなかなか寝付けなかった。

しかしウトウトと数時間寝て翌朝起きると母は何故かベッドではなく、居間のカーペットの上で寝ていた。
お茶をこぼしたり、部屋もめちゃくちゃだった。

そしてテーブルの上を見ると「お母さんは○○ちゃんが大好き」というカレンダーの裏に書かれたメモがあった。

もちろん○○ちゃんは私の名前。
メモを見た瞬間私は再び泣いた。

私は母に○○ちゃんという呼ばれ方をしたことがない。
何で○○ちゃんなんだろう?
そう思って母を見るとスヤスヤと眠っていた。

そんなことどうでもいいか。
私は母のメモをこっそり自分の部屋にしまった。
宝物が一つ増えた。

起床した母はメモを書いたことなんて忘れているようだった。
しかし午前中、母の友達がうちに遊びに来てくれた時、昨日は大喧嘩をしたと得意になって話していた。
後から母の友達に聞くと、私が泣いて謝るから許してやったとドヤ顔で話していたそうだ。

普段通りの母に戻っていた。

それでいいんだ。

いや、それがいいんだ。




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