Jクレジット制度は本当にオワコンなのだろうか?(オワコンである!)
はじめに
本記事では、日本政府が推進するカーボンクレジット制度であるJクレジットの今後を占う。Jクレジット制度は日本政府が2050年カーボンニュートラルに向けて推進している施策の1つで、来たる2023年10月11日には東京証券取引所にて「カーボン・クレジット市場」が開設される予定である。筆者の立場を明らかにしてしまえば、タイトル通り「オワコンである」のだが、その背景を綴っていく。
そもそもJクレジット制度とは何か?
Jクレジット制度とは「省エネルギー設備の導入や再生可能エネルギーの利用によるCO2等の排出削減量や、適切な森林管理によるCO2等の吸収量を『クレジット』として国が認証する制度」である。これは一般的には「カーボンクレジット制度」と呼ばれているもののうちの一つで、誤解を恐れず簡単に言うと、「環境にとって良いことをすることで減らしたCO2量を、『1tあたり○円』のように価格付けをして、売買可能な状態にすること」である。カーボンニュートラル(実質的な排出ゼロ)を目指す民間企業がカーボンクレジットの主な購入者となる。このカーボンクレジットにはいくつか種類があり、国連主導のものや民間主導のものなどが世界各国に存在するが、日本政府が主導しているものが今回のテーマとなる「Jクレジット制度(以下、「Jクレジット」)」である。
Jクレジットは現在どのような状況にあるのか?
Jクレジットの現状を一言で述べるならば「期待に満ちている」と言えるだろう。これまでJクレジットは相対で取引されていた(JクレジットのHP上の掲示板のようなもので売り出し中のクレジットを見ることができる)が、東京証券取引所は昨年度にカーボンクレジット市場の実証実験を行い、冒頭にも述べた通り、来月11日には満を辞して正式にカーボンクレジット市場を開設する。これにより、クレジットの取引の透明性が上がったり、取引が円滑になったりすることが見込まれる。
またカーボンクレジットの創出や取引に対して、投資家からの注目も集まっている。例えば、農業由来のカーボンクレジット創出を支援する「フェイガー」は今年1月、シードラウンドで7,200万円の資金調達を完了した。食料生産システムの課題解決を目指す「TOWING」は累計10億円の資金調達を達成している。取引所では、今月に日本初のカーボンクレジット市場を開設予定の「渋谷ブレンドグリーンエナジー」は今年8月、5000万円の資金調達を完了している。証券大手の「SBIホールディングス」と、CO2排出量の可視化に取り組む「アスエネ」も共同出資で新会社を設立し、カーボンクレジット市場の開設を予定している。
さらに国としても、企業の「自主的かつ市場ベースでのカーボンプライシングを促進する」としており、企業が野心的な削減目標とGX移行戦略を掲げた上で参加する「GXリーグ」を創設した。
このようにJクレジットは多方面から期待と注目を集めていると言える。
Jクレジットを買う企業は本当にいないのか?
上記の通り、Jクレジットには各方面から注目されているが、実際のところJクレジットを購入するニーズは存在するのだろうか。
前提として、Jクレジットを購入する目的は、「自社がどうしても削減できないCO2量と相殺することで排出削減目標を達成するため」である。さらに言えば、「排出削減目標を達成することで、ESGの観点から投資家に評価されるため」である。確かに、クレジット購入者の中には、相殺目的ではなく、株のように投機目的で購入する主体が存在するかもしれないし、投資家からの評価など考えずに、地球温暖化を止めたいという純粋無垢な気持ちから購入する主体が存在するかもしれない。が、大半の購入者は上記のような、投資家の目線を意識した上での相殺目的だと思われるため、今回は投機目的、温暖化抑止目的は考慮に入れない。
以上を踏まえ、Jクレジット購入ニーズについて考えていく。企業の目的が「投資家からの評価」なのであれば、投資家からの評価が受けられなければ、たとえ排出量が削減されても意味がないということになる。そこで、Jクレジットを購入することで、投資家からの評価を受けられるのかが論点となるが、筆者としては、クレジット購入による排出量削減は投資家からの評価に値しないと考えている。というのも、排出量を削減する手段は、省エネやEV導入や太陽光パネル設置(オフサイトPPA含め)など、多くの手段があるにも関わらず、そうした中で、「Jクレジットの購入」という、いわば「金に物を言わせる」手段を取ることは、企業の怠慢以外の何物でもないからである。この論理は我々一般人からしても納得のいくものではないだろうか。他にすべきこと・できることがある状況下で、金さえ払えば安易に解決できる手段を選択する企業をESGの観点から評価しようとは思わない。そしてその自然な感情は企業に対して投資する投資家達もまた共有しているものであろう。したがって、企業はJクレジットの購入によって、形式的には「排出量の削減」という目的を達成できるかのように見えるが、実際のところ、その先にある本来の目的である「投資家からの評価獲得」という目的を達成できないため、企業のJクレジット購入ニーズは限定的であると思われる。(もちろん企業がすでに自社でできる範囲の削減努力をした上で、それでもなお排出してしまうCO2がある場合には、クレジット購入という手段を選択することは是認されるべきだが、そうした企業は日本においては現在のところ非常に少数であろう。)
ただし、企業のJクレジット購入ニーズが存在する状況を述べるとすれば、「外部から強制的に排出削減量を定められた時」であろう。どういうことかと言うと、先に見た通り、Jクレジットは企業が自社の排出削減目標を達成するために購入するものだが、この「自社の排出削減目標」というのは現在のところ企業自身が定められるものである。そのため、上記のようにJクレジット購入が投資家から評価されない状況では、下手に野心的な排出削減目標を掲げて、それをクレジットによって相殺するよりも、そもそも最初からクレジットに頼らずとも達成できるであろう排出削減目標を定めるという行動に企業は出ると思われる。するとますます企業のクレジット購入ニーズというのは限定的になってくるだろう。それはさておき、もし仮に自社で排出削減目標を定められない状況、つまり、政府などから「貴社は○年までに○%のCO2を削減するように」と言われるような状況が発生した場合、企業は自社である程度の努力をしたとしても、時間的・技術的に、与えられた目標を達成できないような状況が発生し、その際にはJクレジットを購入することによって、目標達成を試みるだろう。これは海外では実際に「キャップアンドトレード」という制度として存在しており、それが海外でカーボンクレジットの取引が盛んな理由である。また、キャップアンドトレードは必ずしも国単位ではなく、国際航空業界ではCORSIAと呼ばれる「国際民間航空のためのカーボン・オフセット及び削減スキーム」が存在するが、こうした業界単位のキャップアンドトレードは非常に限定的である。このような排出権の割り当ては日本においては行われておらず、「GX基本方針案」においては、2033年の第3フェーズから、電力事業者に対して有償オークションによる排出権の割当を実施する予定とされている。つまり、日本でJクレジット購入ニーズが発生するのは2033年以降であるのに加え、それは電力事業者のみによるものであると言える。
見出しの問い「Jクレジットを購入する企業は本当にいないのか?」への答えは、「いない。」である。
Jクレジットを創出する主体は本当にいないのか?
さて、ここまでJクレジットの購入主体(需要側)について検討してきた。ここからはJクレジットを創出する主体(供給側)について検討する。
Jクレジットを創出する条件は、冒頭に述べた通り、「環境にとって良いことをすること」だが、どんな活動でも創出できるわけではなく、Jクレジット制度において60を超える方法論が定められている。この方法論は日に日に増加しているのだが、現在でも、「太陽光設備の導入」「ヒートポンプの導入」といったものから、「水稲栽培における中干し期間の延長」「植林活動」まで、様々な分野で方法論が存在する。この方法論を実行すれば簡単にクレジットが創出できると思われるかもしれないが、そうではない。ある方法論に取り組むとなったら、まずはそれをプロジェクトとして「プロジェクト計画書」を執筆し、その審査を第三者機関から受け、Jクレジット制度認証委員会によって認証してもらう必要がある。その次に、実際にプロジェクトを実行したら、モニタリングを行い、今度は「モニタリング報告書」を執筆し、再び第三者機関から報告書の検証を受け、Jクレジット制度認証委員会によって承認してもらう必要がある。こうしたプロセスを経て晴れてクレジットを発行することができる。これだけでもかなりの手間と時間がかかることがお分かりだと思うが、それに加えて、プロジェクト計画書の審査やモニタリング報告書の検証には、(方法論によっても異なるが)約100万円ずつ、合計で200万円近くの費用が発生する。このように、Jクレジット創出は手間も時間もお金もかかり、それでいて、売却額が1tあたり1,500-8,000円程度なのだから、(1回あたりの創出量がかなり多くないと)割に合わないのである。
上記に加えて、たとえJクレジットの創出が容易だったとしても、今後、Jクレジット創出に取り組む主体は多くはないと思われる。なぜなら、カーボンクレジットというのは、「環境価値の移転」であり、多くの主体に対してカーボンニュートラルの実現が求められる現代においては、自社が太陽光パネルの設置や植林活動などで作り上げた環境価値を移転している場合ではないからである。大企業だけが脱炭素に取り組めばいいのなら、中小企業がJクレジットを創出して、それを大企業が購入するといった構図が生まれるかもしれない。しかし現在では大企業に対して、その企業自身による温室効果ガスの直接排出量(Scope1)や、他社から供給された電力や熱、蒸気の使用に伴う間接排出量(Scope2)のみならず、それ以外の間接排出(事業者の活動に関連する他社の排出)量(Scope3)もまた、削減することが求められている。「事業者の活動に関連する他社の排出量」を削減しなければならないということは、大企業にとっての取引先である中小企業による排出量の削減にも取り組む必要があるということであり、大企業は排出量の削減に取り組む中小企業を取引相手として選ぶようになるだろう。そのため、今までは自社で省エネ設備等を導入してクレジットを創出していたかもしれない中小企業は、環境価値を大企業に販売している場合ではなく、自社のカーボンニュートラル実現のために環境価値を使う必要があるのである。
ただし、多くのCO2を吸収する森林や、一般家庭由来のJクレジットは今後も発行されると思われる。森林については、たとえその森林を管理する主体に対してカーボンニュートラルが求められたとしても、排出量を補ってもなお余りある吸収量を森林が生み出すためである。一般家庭については、いくらESG投資の求める水準が高まったとしても、個々の家庭に対して脱炭素を求めることはないと思われる(もしかすると、建設事業者に対して、ZEHをスタンダードとするように圧力が働く可能性があるかもしれないが)。ここで、一般家庭が先に述べた創出までの非常に面倒なプロセスをこなすのかという疑問が湧いてくるかもしれない。これについては、もちろん一般家庭が創出までのプロセスを実行するのは明らかに困難であり。仮に一つの家庭が取り組んだとしても第三者機関の審査と検証に要する費用200万円によって大幅赤字が発生してしまう。しかしながら、複数の一般家庭での取り組み(例えば「太陽光パネルの設置」)をまとめて一つのプロジェクトとして申請(これを「プログラム型」と言う)することで、一家庭あたりの費用負担を下げるという主体がおそらく多く現れるだろう(各自治体や建築事業者が担う場合もあるだろう)。以上のように多少なりともJクレジットの創出が見込まれるものの、適切な森林経営計画に基づいて管理されている森林が十分にあるのかは疑わしく、また、一家庭において削減されるCO2など高が知れていることを踏まえると、十分なクレジット創出量は生まれないのではないかと思われる。
見出しの問い「Jクレジットを創出する主体は本当にいないのか?」への答えは、「いない。」である。
おわりに
ここまで、Jクレジットについて需要面・供給面から検討を行ったが、需要面では、「投資家からの評価という本来の目的に資さないため企業からの需要は無い」という結論に達し、供給面では、「創出プロセスが割に合わないことと、そもそも環境価値を移転している場合ではないことから、十分な供給は見込めない」という結論に達した。したがって、タイトルの問い「Jクレジットは本当にオワコンなのだろうか?」への答えは、「オワコンである。」である。
この記事では全体を通して、かなり白黒つけた表現をしてきたが、もちろん市場開設直後は一定の盛り上がりを見せるだろうし、鉄道会社など自社で火力発電所を所有しているような主体はやむを得ず削減目標の多くをクレジット購入に頼るかもしれず、一概には語れない。先日行われた東京証券取引所のカーボンクレジット市場開設記念イベントでは、10月11日から市場に参加する主体が多く集まったが、各主体によるJクレジットに対する評価はさまざまだったようだ。それぞれの思惑が入り混じる中、今後のカーボンクレジット市場の動向から目が離せない。
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