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令和3年7月23、死にそうになった話。

7月23日に人生に関わる出来事が起こった。あまりにも突然の事で、ようやく気持ちも整理がついたので、そのことを時系列で書いてみる。

7月15日から18日九州 天草・長崎
20年間勤め続けたベンチャー企業(小企業)が8月末で解散となった。思うことも多く8月の65才の誕生日前、5月末に会社を辞めた。
振り返ると色々な物語があり、こんな状況を招いた一つの要因でもあった。

そんな(定年)失業中の私だが、夏休みの疫病のさらなる拡散を予想していたので、夏休み前に、長崎にいる娘1(息子:長男 娘1:長女 娘2:次女)に妻と一緒に会いに行くことにした。
そして旅の本来の目的は、娘1が天草で続けているシーカヤックで、一緒に天草の美しい海を旅することだった。

気になる天気だが、九州地区は梅雨明けして晴天が続く予報だった。しかし、夏らしい好天は初日だけ、天気は毎日悪化し、海は荒れ、シーカヤックは当日の朝に中止となった。さらに悪いことに妻も食あたりで体調を崩してしまう。美味いものを食べ過ぎたのだろう。

しかし今思えば、後に起こる惨事の前倒しを全力で防いでいたのかもしれない。なんせ、天草は親父の故郷で家のルーツだ。海の近くに檀家の寺もあり、色々と先祖の霊も飛び回っていると思う。
今回御世話になった熊本天草のナダカヤックさん。

天草トリップ_210807_133

7月21日 東京 三鷹市 野川で神様を拾う
仕事を辞めてから、よく散歩をする。本当はトレランをしたかったのだが、4月末に、トレラン中、左足の膝、足首の靱帯を痛めてしまい、それがなかなか治らない状況だった。しょうがないので近所の野山を散歩していた。

その散歩の時、神様を拾う。
神様の正体は「羽黒トンボ」
もともと自然観察を散歩中にしていたので、その種のモノを見つける目が養われていた。
野川*沿いをひらひらと舞う、黒い羽とエメラルドの身体を持つ羽黒トンボ。神様の使いのトンボと言われている。黒いヒラヒラと舞う不思議なトンボ、その死骸が目の前にぽっんと現れた。
「凄く綺麗だ」
私は、手の平に優しくトンボを乗せて、3キロ歩いて持ち帰った。

*野川は、国分寺市東恋ヶ窪を源とし、武蔵野台地の端部、国分寺崖線に沿って東南の方向に流れ、小金井市、三鷹市、調布市を貫流し、狛江市東野川で入間川を、世田谷区鎌田で仙川を合流して、世田谷区玉川で多摩川に合流する、延長20.23km

この黒いトンボ、日本では縁起の良いものだと信じられていた。もともとトンボは前にしか飛ばないので、「不退転」の象徴とされている。ポジティブ思考な神様だ。

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自分は野山でよく幸運の虫とかモノを拾う。この日はタマムシも捕まえた。これは生きていたので、リリースする。

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タマムシ
タマムシは「吉丁虫」の異名を持つ縁起の良い虫と言われる。タマムシの光り輝く体の色は、人を惹きつける力がある。

神様トンボ
森の中で黒い不思議なトンボに囲まれる時がある。幻想的な光景だ。このトンボの正式な名前は「ハグロトンボ 」
7月終わりから8月のお盆の頃に現れ、黒い羽根でひらひらと神秘的に舞う。その姿が神様トンボと言われる由来となっている。

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7月23日 昼 急性心筋梗塞を起こす
マウンテンバイクの練習後、帰宅途中に倒れる。
その日の練習中の写真。

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この日は相当に暑かったが、野川公園で何時のコースで練習を終え。写真も動画も撮って帰宅する。その途中、市街地のいぼいぼのある急坂を登ったところで、突然目眩がして、地面がくるくる回り、視界が黄色くなり狭まる。
「これはなんだ」

何処かの家の塀に手をついて自転車にまたがったまま、目眩が収まるのを待つが、一向に収まらない。また身体が動かない。
何分か経ち、この家の前では、まずいと感じ、少し前の交差点まで、バイクに跨がったまま足を使って5m位進み、そのままうなだれる。
交差点(クロスロード)に入った途端、女性の声がした。
「大丈夫ですか」
また男の人の声で
「熱中症ですか」
そこで、私は倒れた。
抱き起こされて、水をかけてもらい、
「私は看護師なので、水とかタオルあります」「救急車を呼んでください」色んな声が飛び交うが、メインはこの女性と若い男性の声だった。
「俺が救急車を呼びます」
自分は「すみません」と言い続けた。
(おそらく、家の結界から出て、人の魂が混じり合う交差点(クロスロード)へ無意識に移動した。だから助けが来たと今では思う。家の結界って結構強い。)

救急車が来ると、救急隊員に担架に乗せられて、心拍を取られた。
「これは、熱中症じゃやない、不整脈がある心臓だ」
「近くに心臓の専門病院があるだろう、榊原病院だ。連絡を取って」と若い隊員に指示をする隊長。
そして、運良く私は、心臓外科のエキスパートの榊原記念病院へ担ぎ込まれた。

7月23日 夕刻 治療 
CCU(冠疾患集中治療室)のベッドに寝かされる前にPCR検査を受ける。ぴちぴちの自転車ウエアを脱がされ、
「これどうやって外すんですか」
看護師さんが、胸の心拍計のバンドを外せないでいる。
私が何とか外す。女医さんが、カテーテル治療の説明をする。承諾の確認をしていたので、うなずく。
その後、断片的な記憶しかないが、
「これはかなりの重症だな」と言う医師の言葉を最後に、意識が飛んだ。
気がつくと、「大丈夫ですか!」と叫ぶ医師。意識を失っていたようだ。心臓停止状態が2度ほどあったそうだ。
その後、蘇生した私は、身体に色んなものが接続され、手足も拘束されていた。救急治療は終わったようだ。それでもまだCCUのベッドの上で、危ない状態だった。

この救急治療の数時間の間に家族が呼び出されて、最悪の場合の説明もされていたそうだ。
ここからの話は、妻のラインから転記している。

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23日、術後、一瞬だけ面会が許されて私だけがCCUへ入った。
口に呼吸器のチューブが挿し込まれていて、身体のあちこちにコードや管が付けられ、機械に繋がれている。
手はベッド両脇に拘束されていた。
アラームが鳴ったり止まったりを繰り返している状況。
モニターにグラフと数値で表示されているが、心拍数も血圧も不安定なのでアラームが鳴っている時間の方が長い。看護師さん達が忙しく動き走り回り、モニターの数字を確認しながら点滴の中にお薬の追加をしたり、繋がれている機械の調整をしていた。
私はアラームの鳴っている機械から目が離せない状況…。

看護師さんが、
「こんな状態でビックリされていますよね。今、心臓を元気にするお薬を投与しましたから安定して来ると思います。どうぞ手を握ってあげて下さい」と言って左手首を拘束してある紐を解いてくれた。

「身体じゅうに色んな管が繋がれているので無意識に掻きむしって外そうとしてしまう事があり、それを防ぐ為にどうしても拘束するしかないんですよ。ごめんなさいね」と説明してくれた。
君の手を握ったけど、もの凄く冷たかった。

時間にしてどの位だったか
覚えていないけど、
看護師さんが「○○さ〜ん!分かりますか?奥様ですよ〜」と声をかけて
君が眼をうっすらと開き、それから紙とペンでやり取りした。私がCCUに居た時間は30〜40分位だったろうか…。

その夜、病院から電話

心臓にはペースメーカー(バルーンパンピング)を付けていますが血圧が安定せず、全身に血液が回らないので
身体中の臓器が弱ってしまっています、腎臓の機能が弱い為、首の血管から人工透析の機械に繋ぎます。と連絡があった。
今後ずっと人工透析が必要と言う訳ではなく一時的なものと言われて少し安心したけどその夜は本当に心配だったよ。

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不思議体験
この時、臨死体験は全くなかったけど、不思議な事があった。

23日夜、CCU(冠疾患集中治療室)で、この疫病禍のため、一度だけ妻の面会が許された。
体は経口気管挿管とか点滴など色々挿入され、手足は拘束された状態だった。その時、妻が左手を握ってくれた。それは覚えている。

その後、痛み止めで、もうろうとしその夜を過ごしたのだが、気がつくと治療室の明かりが消えていた。治療室には窓もなく、全くの閉鎖空間だ。時間は不明だった。
その時、人影が見えた。看護士さん?
その人影は、ベッドの脇にくると、私の左手を包むようにしばらく握ってくれた。女性の手だ。声も出ない、動けない体、手から優しさが伝わり、目から涙が流れた。

その時は、その人影は看護師さんかと思っていた。後で妻に話すと、
「名前を呼びかけないで、そんなことはしないでしょう」と言う。
そうだようなぁ。突然手を握ったりはしない。そして、ふっと思いついた。
「そうか、お袋か、久しぶりに来たのか」
2019年3月30日に87才で亡くなったお袋、そうかそうか、納骨の前、一月程、遺骨を自室に置いて寝ていても、出てこなかったお袋か、、
「もしかして、お母さん?」妻
「と思う」横で聞いていた娘2*が、
「そんな話、真顔でしないでよ、怖いから」と言う。
「お袋かぁ」独りで納得する私であった。
子供達(息子(長男)娘1(長女)娘2(次女))全て成人して社会人。

翌朝 回復
「かなり良くなっています」医師の言葉を聞く。
経口気管挿管が外された。
「○○さん、ここにいるのは奇跡みたいなものだよ、危なかったよ」医師が耳元で言う。
気管挿管が撮れたばかりなので、声が出ない。うなずくだけだった。
「ありがとうございます」

退院後、解散した会社の社長に電話すると、こんなことを言う。
「それは神様のお陰だよ、元々あんたの持っているもののお陰だよ」

もしかすると、天草の海で、シーカヤック中に倒れていたかも知れない。
倒れた時、偶然看護師さんと、機転の利く男子がいなかったかもしれない。
救急隊が適切な素早い判断をしなかったかもしれない
高度心臓外科の病院が救急で受け入れなかったかもしれない。
医師がいなかったもしれない。
PCR検査が陽性だったかもしれない。

しかし、そもそも、成人病的な体つきでもなく、60才の時、OWS(オープンウオータースイム)、年代別で3位になっている。そんな元気なおっさんが、なんで心筋梗塞を起こしたかは、その要因はまた後で考察してみる。(別途)
運命論者ではないけど、神様しか知らない未来だ。こうして生き残る場合もあり、ほんの些細なことで失う命もある。


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