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「トライアスロンの日々1」     (黎明期)1983年

(黎明期)1983年春
モトクロスバイクを売る

モトクロスバイクを稲城ホンダへ売りに行った帰りだった。弟のタクと一緒だ。車はダットサントラック(ダットラ)のキングキャブだ。このダットトラだが、ピカピカのホイルと扁平幅色タイヤ、ロールバーの溶接をはずし、メタリックの銀塗装などしたカスタム仕様だ。俺とタクで学生時代共同購入したが、最近はタクが通勤に使っている。 
ダットラとモトクロスバイク、そして俺

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事故
京王多摩川の橋を渡り品川街道を走っていると、前を白いシャコタンのセダンが走っていた。車種は忘れたが、内装が白のモール、ヤンキー仕様だ。ふらふらと迷い走りをしている。
その時バックミラーにホンダのXLが見えた。路肩を走ってくる。結構スピードを出している。危険だなあと思ったが、そのまま減速しないでダットラの脇を通りすぎる。
その刹那、前のセダンのブレーキランプがついた。
「危ない!」
いきなりセダンがデニーズの駐車場へ左折した。加速しているXLはその鼻先に衝突した。ライダーは車を飛び越えて、デニーズの植え込みの上に落ちた。派手な事故のわりにライダーは直ぐに立ち上がった。相対速度が遅かったのか、大した怪我はなかったようだ。

でも、前のセダンの挙動がおかしい。止まらない。
「タク、逃げるぞ」
「ほい」と言いつつ、運転の上手いタクは、車の多い反対車線にタイミングよく出て加速し、セダンの前に割り込み、ブレーキをかけた。
セダンはあきらめたのか止まった。
俺とタクは車を降りて、セダンへ向かった。
タクがドライバー側の窓を叩く。窓が開く。ヤンキー風の若い男が横の若い女に言なにか言っている。
「逃げるなよ、ナンバー頭に入ってから」と俺が言う。
「はい、すみません」意外に素直だ。20才くらいか。

後ろを見るとデニーズの店員がライダーに話しかけている。
「あの、救急車呼びましたから」ライダーは「大丈夫」と言っているようだ。ライダーも無謀運転だからしょうがない。通行人が徐々に集まりだした。

見た目の厳ついタクがさらに脅しをかけていた。髭面のパーマ頭、背は低いが体格はいい。
高校3年の時、学校の近所のパチンコ屋で、店員が指名手配人と間違え通報し、警察にしょっ引かれた事がある。
そのとき「某国立大の付属高校の生徒です」と言うが、
「あそこの生徒が髭生やして、タバコ吸いながら昼間からパチンコ屋にいるわけはないだろう」一蹴されたそうだ。
その後、2回ほど職務質問を受けているので、よほどある指名手配者に似ていたのだろう。

俺は、助手席の若い女を見た。女は両手をきつく握り締めており、顔はやや青ざめている。髪はショートで染めてはいない。やや白めが多い黒い瞳で俺を見つめている。おそらく10代だろう。
口紅を塗っている赤い唇がかすかに動く。
「ごめんなさい」と言っているようだ。
俺はたいした結果を残すことが出来なかったモトクロスをきっぱりと止めて、バイクを全部売ってきたばかりで、ちょっとした遺失感の中にいたので、その女に自分の気持ちを言ってしまった。
「さっさと忘れて、切り替えて生きた方がいいよ」
これは自分に対する言葉だ。 

うつむいていたその女が顔を上げ、黒い瞳で俺を見つめた。
「兄貴行こう。警察が来る前に逃げよう」耳元でタクが言う。
「そうか、警察はいやだよな、特にお前の場合」
俺達はダットラに乗ると直ぐにその場所を逃げ出した。
セダンを見ると、車から降りた若い女が、まだ俺達をみつめていた。
遠くから救急者の音が聞こえてきた。

トライアスロンの始まり
その夜、俺は夢を見た。黒い大きな瞳を持つ若い女の子と再会する夢だ。
俺はちょっと病んでいた。そして人恋しかった。20代の最後の年。

当時のサリーマン生活は忙しかったが、それでも、全身全霊を込めたモトクロスが無くなり、余暇が出来た。
「なにか、やりたい」そんな気持ちもあり、その年の夏、気まぐれに、地元のスイミングクラブに入会した。
そこで運命の出会い、モリヤマさんと出会う。彼はハワイアイアンマン経験者だ。彼から、スイミングの練習後の飲みで、執拗にトライアスロンに誘われ、元々自転車好きでもあり、ついに俺のトライアスロン人生が始まった。それが1983年の夏だ。







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