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アメリカ村のキャメル・ママ 細野晴臣 小坂忠

音楽の日々
 自宅で色々やっているとき、BGMとして常に音楽を聴いている。
ラジオもこのコロナ禍に一時期聴いていたが、最近の音楽になんとなく馴染めない。そこで古いCDを聴く。余裕があればさらに古いレコードを聴く。

 キャラメル・ママ
 毎日聴く楽曲は多種多様に渡るのだが、ここ数日は細野サウンド、それも1970年代初頭、細野さんがJT(ジェームス・ティラー)、バッファロー・スプリングフィールドを意識していた時代の楽曲を、赤ちゃん返りみたいになって聴いている。老人だから音楽で過去が蘇る。

 特に小坂忠さんとのコラボがいい。小坂忠さんはJTの歌声だ。
そして、細野さんはキャラメル・ママだった。
キャラメル・ママ 1973年に結成下バンド。
メンバーは 細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆(後に佐藤博)

私はまだ10代だ。

キャラメル・ママの意味
キャラメルの意味は「安心する存在」
しかし「ほかの人とは似て否なる位置付け」という風にも捉えられる言葉。つまりアメリカ音楽がキャラメル・ママだった。

「青い魚」金延幸子
 最近、映画パーフェクト・デイズのバックで流れた「青い魚」で再注目された金延幸子さん。彼女のアルバム「み空」も細野さんがアレンジしている。バックにキャラメル・ママのメンバ-が関わっている。

 この音がいい。テンポも好きだ。この当時、南正人さんのアルバム「南正人ファースト」が八王子の農家の庭先で録音されている。
アルバムの中「五月の雨」これはいい。全然流行らなかったけどね。

 当時、貧乏学生だったので、それほどレコードを買えなかった。
しかし、最近CDが安い。音源としてCDは人気がないようだ。
私はこれ幸いとブックオフで、昔のレコードのCDを集めている。
「今更CD、もうサブスクでいいのでは」と言う人もいる。
だけど違う。そこには愛がある。
「スマホからブルートゥース経由の音に愛はあるんかい」

 CD(LP)をステレオで全部通して聴くこと、
「そこに愛がある」
その音とミュージシャンを愛する心がある。

よく聴くCD
レコードは多くはないが、1970年から1980年代

「ありがとう」 小坂忠 
 2023年デジタルリマスターされて再販されたCD オリジナルは1971年10月 レコード(LP)を持っていなかったので、本当にありがとうだ。名盤だ。
何故か細野さんがボーカルをやっている「ありがとう」が一番好きだ。
ラストの歌詞「だんだん馬鹿になっていくのです」これが今の私達だ。

小坂忠 ありがとう CD

「HORO」 小坂忠
 2001年 オリジナルは1975年、当時のレコードは持っている。
名盤中の名盤だけど、その頃、女に振られたので、「しらけちまうぜ」を一番よく聴いていた。
小粋にわかれよう サヨナラベイビイ

小坂忠 HORO CD

「Hosono House」 細野晴臣
 
1973年 キャラメル・ママ時代の細野晴臣さん。レコード(LP)は持っていたが、紛失した。誰かが借りパクしていると思う。
アルバムのレコーディングされた場所は埼玉県狭山市の稲荷山公園の近くにある通称アメリカ村、米軍が住んでいたHOUSE、細野さんの自宅で行われた。自宅でのセッション、この時代が懐かしい。

 1970年初頭、福生とか、調布の関東村もアメリカの占領下のままで、日本にアメリカの家(House)があった。そんな時代だった。
そこにヒッピームーブメントがあった。

 私も米軍キャンプで開催していた夏のフェスタに出入りしていた。高校生だけど、向こうのガキ達とビールを飲んだりした。
また親父の友人のアメリカ人からクリスマスパーティにも呼ばれた。その時初めて七面鳥の丸焼きを見た。暖炉の火も初めて見た。

「南正人ファースト」 南正人
 2007年 オリジナルは1973年 キャラメル・ママがバックバンド、セッションでの一発録音。それも八王子の農家の庭先でだ。当時のヒッピームーブメントそのままだ。レコード(LP)は持っている。

南正人 CD 

 この時代は5年程度で終わるのだが、その後の「はっぴいえんど」に繋がる。ロン毛で鼻髭、ワークシャツとジーパン 10代の私はこれがロックファッションだと思っていた。
現在67才、禿げてないので、折角だから今再び髪を伸ばしている。

寂しい時代に入っている
 小坂忠さんも南正人さんも今はいない。大瀧詠一さんもいない。佐藤博さんもいない。細野さんは見た目は長生きしそうだ。
歴史の流れとは言え淋しい。

読んでくれて、ありがとう。

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