見出し画像

個人的な教育の話10 子育ては終わったけど、果たしてその結果は

子供の教育に関心がある人は、これから子育て、または真っ最中と色々な立場にあると思う。
私は終わったので、もう他人事だけど、何故か寂しさもある。
動物を見てもそうだが、子供を育てることは大変な作業だ。生きている事の全てとなる時期がある。

その過程はキツいけど、スポーツと同じで終わると楽しい記憶しか残っていない。
鬼のような顔して、子供を前後に乗せてママチャリを漕いでいるおかあさんを町で見る。
昔は電動でなかったから、家の妻はさらに鬼のようだったはず。
そんな姿、今思えば、人生の「黄金期」だ。

子育てに正解はない。
「それでも、十分に人生を楽しましてくれた子供達には感謝している」

子育てのイメージ
私達の家庭には、子供が3人いる。息子、娘1、娘2。
娘2は24才、子供達は全て大学を卒業して働いている。
家庭内のバランスで言えば、男2人 女3人の家庭だった。

何故、長男、長女、次女と言わないのか、それは私のポリシー。
長男だから、次女だからとかという意識を持って生きる事はないと思っている。子育ては出来るだけ平等で、そうは思っていても、一時期は差が出る。

私の子育てのイメージは、まず私が長男、弟が一人いる男兄弟で育った。また男系の家系であった。
一方、妻は長女で、妹、弟、女兄弟で育った、また女系の家系であった。
だから、お互い子育てのイメージはかなり違うものになっていた。それは驚くほどであった。

子育ての区分
それでもなんなく区分は出来た。
勉強やスポーツ、遊びは基本私が、衣食住、躾は妻がという感じで区分していた。
それと、私も妻もアウトドアやスポーツが好きなので、山、海、妊婦時代でもキャンプへ行っていた。だから幼児時代から山や海へ、スイミングは2才から通っていた。

当時生活していた地域は横浜のチベットと言われる程の田舎で、里山が直ぐに広がり、夏の朝夕はヒグラシの大合唱が聞こえるような場所だった。
センス・オブ・ワンダーの世界だった。

レイチェル・カーソン われらをめぐる海は大学生の頃読んだ

後に引っ越ししてから5年後、娘2は日本では10万人に1人という未だ不治の病である1型糖尿病となる。
でも持ち前の体力と性格で、体育大まで卒業して、健康という意味ではないが、普通に生き抜いている。

里山の春

私のこだわり
子供は環境で育つものだと思っている。
まず国、地域、家庭、学校、気候、自然、食、色々な環境が影響する。
親の影響も大きい、親の普段の行動を子供はよく観察している。
真面目に生きることが必要だ。

親が本を読んでいれば、本を読む子になるかもしれない。
楽器を弾いていれば楽器を弾く子になるかもしれない。
スポーツをしていれば、スポーツが好きになるかもしれない。
全てなるかもだ。無理強いはしない、子供には適正がある。

また、親が雑に生きると、子供はそれが基準とする。
そしてさらに劣化した子供となる。それを阻止出来るのは外の力だけど、運任せとなる。

妻のこだわり
食事の作法、人を不快にさせない丁寧な生き方、それと、私の苦手な歌や、踊ったりする楽しみを教えていた。
特に正しい生活にウルサい。
がさつな私への指導も多い。
このNoteでも校閲されて、
「適当に書かないの!」と怒られる。
「誰も、真剣に読んじゃあいないよ」と答えて炎上する。

勉強のこと
出来るだけ偏差値の高い学校へ進学とか、そんな目標はなかった。
私自身も工業高校卒で、オートバイに乗っており、よく言う暴走族だった。
それでも卒業後、一念発起し、弟の中学校の教科書を貰って勉強し直して、浪人して大学へ進学した。
警察に2度捕まった男でも普通の社会へ戻れた。そして名前のしれた大手の会社へ就職も出来た。

だから「大学へ進学すれば何とかなる」と思っていた。
ただ、自分がもし違う環境(進学校の普通科)だったら、つまり勉強方法を早めに知っていれば、もっと楽に大学へ行けたと思えた。

20才、ようやく大学生、モトクロスの傾向する

ここで過去の人格者の言葉から教育を考えてみたい。

子は親の鏡 ドロシー・ロー・ノルト 

子供に対する親のしつけや愛情は、すべて子供に反映するから、その子を見ればどんな親かを想像することができる、というたとえ。

追記だが子供にとって、親の生き方、正義もかなり影響を受ける。

目標が進学だけの場合
良い例として、4人の子供を東大IIIへ入学させて、4人を医者にさせたお母さん、佐藤ママ
高学歴でママと呼ばせるのかぁと思うけど、幾つかメソッドを読んでみた。
今時のトレンドが散りばめてあり参考になると思う。
当時はお互い子育て中だから、タイムリーでは陰山メソッドを参考にしたのだろう。

パパの子育て参加率0%だという、これはいただけない。今時それが成り立つのか不思議だ。
子供も真似するよ。そして妻が炎上する。
それと成人した子供4人とも医者とは信じがたい。全て同じ適正なのか、金太郎アメみたいな子供達。これは親の意向だと思う。

私としては、子供達の高学歴な進学が目標ではないけど、自勉を習慣化させたかった。
私は、高校卒業までその習慣が欠落しており、非常に苦労した経験がある。

方法として、佐藤ママと同様、陰山メッソッドを意識していた。
それは。小学校時代に計算、漢字の書き取りをやらせる。基礎を構築する。
これは親が教師やライバルとなって指導した。塾とか他人任せでは駄目だと思う。親も結構馬鹿になっているから脳トレになる。
小学校の算数で問題を解答するのは結構キツい。

この基礎がないとその後かなり出遅れる。
だらか一応目標として、中学受験をさせることにした。娘二人は中高一貫校の女子校に入れた。これは副作用として中2病対策として非常に良かった。

次の言葉
人間は環境の子 ロバート・オウエン

人間の性格は本来善であるが、生後の環境によっては悪くもなるので、幼児期によい環境を与えることによって、合理的な思考と行動を可能にするよい人格形成が促される必要がある。

追記だが、子供にとって、国、地域、学校、家庭環境、全てが影響する。
レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」一読を勧める。
幼児期の環境として私も感銘を受けた。

最近、20年ぶりに読み直した椎名誠さんの「かえっていく場所」でもキーワードとして出ていた。20年前には記憶に残らない文章が、歳を取って読むと突き刺さる。

2001年頃、椎名誠さんが57才前後の頃

住む場所を代える
息子が物心つく小学校4年になるときに、東京の郊外、自然環境もよく、中堅どころの大学、高校が沢山あり、ママさんバレーボール、おっさん野球、子供のサッカー、スイミングなど地域スポーツが盛んな多摩地区の一戸建て引っ越した。私の地元でもあり、民度も地域性も理解している場所だ。

自然環境として、まだカブトムシもクワガタも捕れる。川ではメダカも捕れる地域だ。
子育ては戸建てがいい。大好きな犬を飼い、魚もトカゲも飼う。庭木も沢山植えた。生き物と一緒に生活した。
子供達の遊びの基本は近所の探検だ。遊び場も沢山ある。スポーツもする。

子供達は、スポーツも文化活動も盛んで、PTAも機能している環境のいい適度な進学校へ通った。(長い)
私は親の介護や娘の病気など人生の大波の中にあった為、何もせずにいたが、塾など行かずに自勉で一応名の知れた大学へ進学した。
娘1は秀才だった。学校推薦でW K大もあったが名前では選ばなかった。

大人になって
そして今、子供達はイメージ通り、私達夫婦の遊びや旅行に喜んで参加する。嫌々ではなく楽しみにしている。
まあ、私達はアウトドアツアーの達人だ。

年に何度も一緒に食事する機会がある。川越のスペイン亭は婆さんとも一緒に20年近く通っている。久しぶりに会ったオーナーが爺さんになっていて、ビックリした。


私達夫婦が家族として、子供達の「かえっていく場所」として心にある。椎名誠さんの本の表題の意味が今頃わかる。
これが一番だ。

大人になってから家族で一緒に食事したり、旅したりする機会なんて人生の中でなかなかない。全くない家庭もある。
それが出来る。
取りあえず、子育てが成功したと言っていいのではと思う。

天草と、島原半島の海峡で家族とシーカヤック
娘1のカヤックの師匠のSさんと、海峡では風がまだ吹いている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?