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高校生のバイク時代    

~私も16才になると、例に漏れず原付免許を取得した。免許を取ればバイクに乗ってみたくなる。
「バイク=格好いい=女にもてる」の方式で、私も頭に血が登り、あの手この手で親を説得し、中古のホンダCB50を手に入れる。

私は1970年代の高校生だった。

世田工での高校生活は、一番はバイク、モーターサイクルだ。次に音楽、それと女、これが一番弱いけど。
勉強はしなかった。これはしょうがない。当時の学生はごく一部の秀才達が勉強して進学していた時代、まだ大学進学率は40%に満たない、女子は短大進学がほとんどだった。

当時の高校生にとってバイクは青春そのものだ。皆、16才の誕生日が来ると、すぐに免許を取りにいった。取った奴らはそれを友達に見せびらかす。見せられた奴らは腹が立つ。
「どうだぁ、すげーだろう」あの頃の馬鹿騒ぎが目に浮かぶ。

16才で免許を取る
私も16才になると、例に漏れず原付免許を取得した。免許を取ればバイクに乗ってみたくなる。
「バイク=格好いい=女にもてる」の方式で、私も頭に血が登り、あの手この手で親を説得し、中古のホンダCB50を手に入れる。
ヘルメットは、大型バイクを乗るときでも、着用義務はなかった。つまり違反にはならない時代だったが、私はオートバイレーサーに憧れていたので、当時レースをする人間には有名だった柴崎のゴトウで、フルフェイスタイプのヘルメットを買う。
私は直ぐに白いメットを銀色に塗った。銀のフルフェイスが私のトレードマークとなった。
それからは、夢中だったサッカーからバイク、バイク、バイクと頭の中はバイクで一杯になった。

部活はバイク
中学の時に夢中になっていた部活のサッカーだったが、高1の夏、練習試合で、キーパーの下敷きになり骨盤にひびが入り、1ヶ月ほど走れなくなった。部活は休み、夏休みが暇になった。ついでに原付免許を取った。
そして完治後、既に私の気持ちはバイクに向いており、結局その年の冬に退部した。
先輩らに何度か体育館裏に呼び出されて説得(脅されたり、褒められたり)されたが、気持ちはサッカーには向かなかった。

2年なっても、勉強はしない、出来ない、馬鹿が多い我が電気科クラスでは、バイク仲間がどんどん増えていった。そして仲間内で、5月の連休にバイクツーリングを計画した。日帰で埼玉の長瀞までツーリングすることになった。

総勢10人ほど、当日は天気もよく、山道を軽快に走る。コーナーでバイクを倒し込むスリルは最高だ。
途中でパンク騒ぎとかがあったが、無事長瀞へ到着する。昼飯を食べて休憩。長瀞の支流に歩いて降りると、小魚が群れていた。オイカワだ。郊外の川にはまだまだ気持ちのいい場所が沢山あった時代だ。バイクツーリングは、知らない場所へ移動するという新鮮さと冒険心を満たしてくれた。

さらに暴走ライフへ
そんなのどかなバイクライフも、ホンダCB500を買った、同級生が暴走族に入ると、徐々に暴走ライフに突入するのであった。私も大型免許を取ると、今度も親にねだって、と言うか親父がたまに乗せろと言う条件で、ホンダのCB750(中古)を買ってもらった。
最終的にはクラスの半数が暴走族になってしまった。でも、今思うと、喧嘩上等とかはなかった。皆で、夜中つるんで走る時の解放感だけを覚えている。
卒業アルバムの写真、皆自由だね。本当に服装がバラバラ、それが微妙に卒業後の進路を暗示している。ジャージ姿の私は未だにトライアスロンとかの運動選手でいる。

世田工バイク時代

*FBに100本以上あるノートから転載している

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