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創作活動 小説など

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なかなか難しい。小説を読むのも好きですが、書くとなると難しい。 時間がかなりかかる。それと歳取ると段々馬鹿になっている。
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俺の毎日(LAST)You've gat The LOVE(50年目の七夕)

■エピソード1  八ヶ岳が見えるキャンプ場、トレーラーハウスの前に置いたラレマンド ウッド ロール テーブル。テーブルクロスを広げて草花を飾る。 ちょっとお洒落な感じとなる。  雰囲気もよくなったので、俺は夕刻からビールを飲み始める。 つまみは炭で焼いたと焼き鳥と枝豆、両方とも美味い。ビールの次は芋焼酎の水割りに変わる。     辺りは次第に暗くなり、シューと言う音とともにコールマンの200Aのシングルランタンが灯る。  ランタンの音が俺を眠りに誘う。これには抗えない。眠

俺の毎日 ヨウコの話 青学でラリー・カールトンを聴く

ヨウコの場合  ヨウコは大学を出ると高田馬場駅に向かわず、遠回りになるけど学習院大学の構内を抜けて目白駅に向かった。ヨウコは歩きながら考えていた。  キャンパス内は秋も深まり、道は落ち葉で埋め尽くされていた。黄色いイチョウの葉は油脂が多く革靴だと滑りやすいが、そんな事など気にもとめず、ヨウコは黙々と歩く。そして一心不乱に考えを巡らしていた。 (どうしようか、普通に就職するべきなのか、そろそろ結論をださないと・・)  交差点で信号待ちをしていると、目の前を大型バイクがジェッ

俺の毎日 埼玉桶川モトクロスレース場編 倉岳の前

アクシデント  第1コーナを抜けた直後に、比較的大きいジャンプ台がある。俺の乗っているホンダCR125は低回転域のトルクが弱い、代わりに高回転域のパワーは大きい。その特性から一度スピードを落すと加速に時間がかかる。 俺はその特性を考慮して、スピードを落とさずにバンクのあるアウト側を走た。当然イン側にスペースが出来る。そこに白いヤマハYZ125が走り込んできた。  YZ125より先にジャンプを飛ぼうとコースアウトぎりぎりのスピードでジャンプ台に向かった。CR125はジャンプ台

俺の毎日 天草編 倉岳ダウンヒル 

 額から流れ出る汗で目が痛い。足には乳酸が溜まってきた。それでも俺はバイク(自転車のロードレーサー)で山を登り続けていた。 「おもったより手強い」 想像より急登であった。トライアスロンの試合の翌日だったこともあり、 疲労が抜けきってないのだろう。何時もよりギア落として登りつづけた。 流石にふらつきはしなかったが、ようやく頂上の駐車場へ到着した。 ここは天草の倉岳、眼下に天草の海が広がっている。  天草の海はインディゴブルー、空はスカイブルー、綺麗だった。 そんな美しい景色を

俺の毎日 星に願いを ハワイ島 Mt.マウナケア

アイアンマンレース  ここ2年間の練習内容からみて完璧だった。 アイアンマン・ハワイ世界戦の予選と言える琵琶湖のアイアンマンレース、 このレースにおいて、昨年では当確の順位だったが予選落ちした。 「何故?」俺は怒っていた。  調べると日本人の推薦枠が昨年より厳しくなったようだ。ここ1年で世界中で選手が増え、競技記録のレベルが格段と上がっていた。それは俺の想像以上だった。 これだと仕事を辞めないと練習量を確保出来ない。 それは無理な話だった。「来年に向けて頑張ろう!」 そんな

俺の毎日 会津編 雪の高速バス 大島の続き

 東北新幹線の窓から流れる風景をぼんやり見ていた。 (今日の出張はきつい、往復10時間の日帰り出張はきつい) 行き先は福島県の西会津だ。近いようようで遠い福島の山間の町。東京から東北新幹線とローカル線を乗り継いで5時間弱かかる。朝6時に家を出て、西会津町の野沢駅に着いたのはお昼の12時少し前だった。  会津若松駅を過ぎてからは雪が降り続いていたが、駅を降りると雪は止んでいた。駅を降りると銀世界、ここは日本でも屈指の豪雪地域だ。 「さて、何処で飯を食うか」と思ってはみるが、新

俺の毎日 伊豆大島編 太平洋クルージング

大黒ふ頭  朝7時、横浜駅から同乗したコロナマーク2、そのマーク2を吉川さんは責めまくっていた。 助手席に乗った俺は気持ちが悪くなっていた。後ろの席の乗った高木は完全に死んでいた。この苦行約30分続き、大黒ふ頭に到着した。     「吉川さん、俺、昨日2時まで飲んでいたから、あの運転たまんないすっ」高木が車を降りながら言う。 「悪いね、高木さん、うちの社長、時間にはうるさいから」 まだ運転席に座っている吉川さんが明るく答えた。  吉川さんと俺は同い年だ。仕事仲間で、最近大規

俺の毎日 シンガポール編 ナイト・サファリ

 YCAT(横浜)の待合室で俺は完全にグロッキー状態だった。昨日から寒気がすると思っていたら、朝から体がだるい。熱もある、頭も痛い。 「風邪だな」  しかしも、これからシンガポールへ向かうため飛行機に乗る。海外出張だ。かなりヤバい状況だった。 「全く、何て日だ」 しばらくすると待ち合わせていたY氏が来た。現状を話す。 「だるい、死にそうだよ、出張止めようかな」 「イケさん、ユンケル飲んで、飛行機内で寝ていれば復活しますよ」 他人事だった。 「はーっ、行くか」 俺は取りあえず、

散歩13(サンポ サーティー)2

*二八蕎麦 蕎麦は二八だ。のどごしがいい、蕎麦の香りが鼻に抜けていく。 「美味いですね」 「だろう」まだ狸のかぶり物している狸男が、そば茶を飲むとしゃべり出した。 「君も知っての通り、香港がCの支配下になった。豪州は最後の抵抗をしている。台湾は米国の支援を受けて善戦している。日本はこの疫病でかなりの打撃受けたが、この事で国内の大手企業、官僚、政治家、メデイアはほとんどだが、沢山のC系人とシステムが入れ込まれていることが露わになった。特に情報系でのCの浸透はどうにもならない状

深大寺のいしさじ(石匙)

深大寺とその周りを取り囲む森は、僕の遊び場だった。 今は四月の中旬、この時期、深大寺や神代植物公園の湧き水の池はヒキガエルのオタマジャクシで溢れている。僕は深大寺の湧き水の池で、一人でオタマジャクシ捕りをしていた。 これで最後にしようと網を入れた時、網が何かに引っかかり取れなくなった。無理に引っ張ると網が破けそうだったので、仕方なく運動靴のままで浅い池に入りその引っかかったものを手で取り除いた。 それは手の平に乗る程度の大きさの石だった。形はホタテ貝のようで、見た目より重い。

天橋立のホタル

 天橋立トライアスロン参戦 1991年、その頃トライアスロンが町興しのイベントとしてブームになっていた。その流れの中だったと思う。高校の同級生Sから、自分の親父の実家、京都の天橋立でトライアスロンがあるから出ないかと誘いがあった。 車で行くし、自分のハイエースを出すそうだ。 ちなみに東京から日帰りは無理なので、実家に泊まればいいと言う。それになんと言っても天橋立は京都の観光地だ。 さてどうしようか・・ 実は日程が、6月下旬にある琵琶湖のアイアンマンレース(スイム3.9キロ 

100年七夕

■エピソード1   七夕の日、キャンプ場で花を飾る。 ちょっとお洒落な感じとなる。 朝から降っていた雨も止み、雰囲気もよくなったので、俺は夕刻から気持ちよくビールを飲む。 つまみは炭で焼いたと焼き鳥と枝豆、両方とも美味い。飲むにつれて濃い酒が欲しくなり、芋焼酎の水割りに変わる。 辺りは次第に暗くなり、シューと言う音とともにコールマンのシングルランタンが灯る。 ランタンの音が俺を眠りに誘う。  @@@  眠りから覚めると、そこは霧の中だった。ランタンも消えかかっている。白い

ポツンと一軒家 ある少年の話

九州熊本にある奥深い森の中に、ポツンと古びた一軒家があった。そこには、自給自足をしている一人暮らしの爺さんが住んでいた。 新緑の5月だった。 良い季節だが、この時期に何故か心を病む。 長崎のマンションの一室から、少年が逃げだした。 学校のこと家庭の事、自分でもよく分からない理由で、心が逃げろと言っていた。少年は遠くへ行きたかった。朝から電車に乗り、舟に乗り、長崎を去る。さらにバスに乗り、終点で降りた。そこは見た事もない深い森が広がっていた。少年は、そのまま飲まず食わずで歩き

福生ブラザーズ F&B

3年前、ジェイクが突然逝ってしまった。残されたエルウッドとしては、 「ちょっと、早くねーか」 ジェイク(本名ハジメ)、満65才、ステージ1の癌の手術の為に入院、手術は成功。でも入院中に心臓発作で死んでしまった。 その亡骸をエルウッド(ケンジ)とコウジは2人で見ていた。 「ケンジさぁ、なんか顔が違うような気がする」コウジは独り言のように言う。 「ようやく大人になったんだろう」とエルウッドが答える。 「なんよだそれ」 「俺もわからん」 人はいつ大人になるのだろう。エルウッドも既に