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教育と子育て

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子供3人、長男(息子)、長女(娘1)、次女(娘2)全員、大学を卒業して既に社会人。その子育てと人生設計、転職、引っ越し、全てにおいて子育てが頭にあった。お金の色々話もある。
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記事一覧

横浜のチベットへ再び

結婚して直ぐに、12年ほど横浜のチベット(田舎)と言われる場所に住んでいた。 古い公団団地で、貧乏でも元気が一番的な生活をしていた。 この頃は、子供3人の将来を考えて、とにかく金を貯める生活をしていた。 この団地は立地的に不便だったけど、周りは自然は豊かで、子供らしい遊びには事欠かない場所だった。 また、賃貸の金額も凄く安いので、子供が小学校くらいになると、貯まったお金で頭金を払い、家を買って引っ越しする家族も多かった。ステップアップするための住処の面もあった。 そのため

個人的な教育の話17 春 旅立ち

娘が家をでる  先週の土曜日、今年は桜が遅く満開の頃、娘2(末っ子)が婚約者と生活を共にするために家を出た。泣いていた。姉も東京を離れた時、泣いていた。それだけ決意しているのだろう。  息子(兄)は大学卒業後、直ぐに一人暮らしをさせた。もう9年経つ、男は母親のご飯から離れた方がいい。(昭和の不適切発言かもしれない)、娘1(姉)は5年前、長崎へ赴任した。 そして、最後まで残っていた娘2が家を出る。 彼女はいわゆる不治の病を抱えている。治療方法は生体移植しかない。医学の進歩で豚

個人的な教育の話16 交換ノート・リターンズ

 交換ノート・リターンズも2024年の春に終わった。最後まで実家にいた娘2が家を出て自立したので終了だ。 なんだか感慨深いものがある。  娘2が小5から始めた第一回目の交換ノート。これは娘2がダークサイドへ落ちていきそうだったのをどうにかしたい。そんな思いで始めた。 一方このリターンズは娘2から始めたものだ。大人になった彼女、色々と言いたい事があったのだろう。 交換ノート(第一回)  交換ノート(第一回)、これは2009年2月から始まり2010年の12月頃に終わっている。

ロン先生の虫眼鏡 ロン先生がいる家

 本の感想だけど前書き  娘1*は中高一貫の女子校へ通っていた。 *我が家の子(息子、長女(娘1)、次女(娘2)全員成人している。  その学校で林間学校があった。場所は清里だ。夜、宿舎のトイレで同級生が騒いでいた。 なんの騒ぎかと思い、娘1がそこへ顔だした。そして騒いでいる原因の足の長い茶色バッタみたいな虫を見てひと言う。 「あれ、カマドウマ」 「かま・・なに?」同級生 「べんじょコオロギ」 「凄い!」となり、それ以来虫博士となった。 今時、東京に住む子供達、特に女の子はカ

赤いヘリコプターを青空に見る 

2023年2月  近所のホームセンターへケーブルダクトを買いに行こうと歩いていると、ヘリコプターの音がする。 見上げるとヘリコプターが上空を飛んでいた。この辺りは調布飛行場、横田基地があり、飛行機、ヘリなどが頻繁に飛んでいる。 白地に赤いラインのドクターヘリだ。おそらくヘリポートのある杏林病院へ向かうのだろう。  10年前、御岳山(青梅市)から救助ヘリで救出された娘2、飛んでいる赤いヘリコプターを妻が自宅近くで見つめていた。 この状況に至るまで長い話になる。 -------

裏山自然観察日記4最後「横浜に住んでいた頃の話」

裏山自然観察日記3「横浜に住んでいた頃の話」 人生の全ては原っぱで学んだ

*このシリーズのサムネイルの写真は三鷹の国立天文台のキャンパス内の写真。私のお気に入りは太陽フレア観測用望遠鏡だ。

裏山自然観察日記2「横浜に住んでいた頃の話」雑草を食らう冒険的な味見の会

裏山自然観察日記1「横浜に住んでいた頃の話」横浜のチベットでホトケドジョウを捕る

アウトドア好きの大人になった子供達

発端 1989年頃、私はアウトドアスポーツに魅了されていた。時代はインターネットの黎明期、私は個人でアドベンチャー倶楽部JというWebサイトを作って運営していた。 そこではアウトドアの遊びを発信、また仲間も増やしていた。 このサイト10年位続けた頃、仕事も忙しくなり、牧歌的なネット環境はなくなり、その対策も人間関係も面倒くさくなり、1999年にサイトを休止した。 そして3人目の子供が産まれ、子育てに専念することにした。 子供達のアウトドア 長男が小学校4年生になるまで住ん

平成のサラリーマン、教育費は稼げたか、チョコレートは甘く苦い

教育費はおいくら万円? 私は、結構好きな事をやりながらサラリーマン生活を40年間続けた。 無職時代も1年あった。転職も1回、ベンチャー企業へ転職し20年間勤めた。そして昨年65才でリタイヤした。 既婚、子供は3人いる。親は既に他界している。 そんな人生において、教育費を稼げたのか? 結論として、それは十分可能だった。平成のサラリーマンでも、子供達を大学へ行かすことができた。家も買えた。 1984年から働いている。この時期は昭和だが、結婚は1989年、平成元年なので、ほぼ平成

息子とキャッチボール

私は野球のセンスがないので、過去会社のソフトボール大会くらいしか出たことがない。 こう言うと、ドラえもんのび太を想像する人がほとんどだと思う。 1960年から1970年、私の年代は男の子のスポーツは野球しかない。 トップレベルの運動能力の子が野球をしている。地元のリトルリーグが世界1にもなっている。その子達と比較して下手だと言う事で、子供と遊ぶ程度はやれます。 野球観戦 話が戻るけど、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC) 2023、大谷さんの活躍、久しぶりに感動した。

我が家のメインスポーツはスイミング

■スポーツが好きだ 私は若い頃から色々なスポーツを経験している。小中高とサッカー、大学からはモトクロス、スケートボード。 30代からは生涯スポーツとなったスイム、トライアスロン、マウンテンバイク。これらは63才まで競技に出続けていた。 その中でも特に好きなスポーツはスイムと自転車だ。自転車は自由に走れるオフロードが特に好き。 妻の方は30才くらいからママさんバレーボールを始めていた。結局地元のクラブチームに入って50才まで続けた。 そんな家庭環境で、子供達(息子、娘1、娘2

ゴキブリと救急車         1996年5月

深夜のゴキブリ 深夜1時、横浜市瀬谷のとある救急病院の一室で、壁に張り付く大きなゴキブリが目に止まった。壁の脇の狭いベッドには妻が横たわっている。まだ気分が悪そうだ。 そんな状況で妻に壁に張り付いているゴキブリの事を言うわけにはいかない。何故なら、妻は世界で2番目ぐらいにゴキブリが嫌いなのである。ここで一言、 「ゴキブリが後ろの壁に張り付いているよ」 なんてことを言ったら、病状が更に悪化してしまう。ついでに私は絶対にこのゴキブリを捕まえるはめになる。 やはり真実を伝えるのは止