見出し画像

「アウフヘーベン」という言葉に出会って、今日、わたしのこころは、ちょこっと軽くなった。

今日、わたしは人生ではじめて知る言葉に出会った。それは「アウフヘーベン」という言葉だ。
「アウフヘーベン」という言葉は、ドイツの哲学者ヘーゲル(1770年~1831年)が使用した哲学の概念を表す言葉らしい。

日本語で「止揚(しよう)」と訳されるらしい。人生で、止揚という言葉を使ったことがあっただろうか。いや、一度もない・・・。そのぐらい馴染みのない言葉だ。

いったいこれはどういう意味なのか。ネットでもいろいろとみてみたが、一番わかりやすい事例が上司の事例だったので紹介してみる。

例えば・・・

彼女に「私と仕事どっちが大切なの?」という質問をうけたとしよう。
みなさんだったらどう答えますか?

「もちろん、君だよ」
「仕事だよ」

なのか、きっと迷いながらもどちらかを答えるか、「両方」と安易に答えてしまうだろう。後者を言った時には、大変なことになりますね。と、よくある男女の例えのあるあるの話ではあるが。

はたして、どちらか?を答えるのが正解なのだろうか。というのが、「アウフヘーベン」へつながっていく。

君に、そんな言葉を言わせてしまっただなんて、ごめんね

と、言えたならどうだろう?
というのが答えだった。

確かに・・・
この緊迫した空気から、この一言によって、二人の関係性が一気に強まることが想像できる。

この一言によって、どちらかではなく、次元が変わり昇華すること間違いない。なるほど・・・と、目からうろこであった。

これって、人と人のコミュニケーションにとって、とても大切なことなのではないか。と、ふと思った。例えが恋愛だったので、恋愛はもちろんだが、お仕事の場でも大いに重要な役割を果たすのではないか。と。

子どもの頃は、スポーツの世界で生きてきたこともあり、結果がすべてであったと共に、白黒で判断する世界にどっぷりつかっていたこともあって、20代のころは、物事の白黒つかない出来事を受け入れることができなかった。30代になって、いろいろと経験したせいもあるのか、白黒だけでなくグレーという世界もあるのだということをやっと受け入れることができた。というか、世の中はむしろグレーのことだらけなのではないか。と思うぐらいになった。40代の今、グレーの違和感に改めてモヤモヤしていた今日この頃。「アウフヘーベン」という言葉に出会って、なんだか心が少し軽くすっきりした気持ちになった。

なぜそういう気持ちになったのか?
それは、自分の勝手が固定概念なのか、エゴなのかが邪魔してるせいだと思うが、白黒判断することやグレーという世界に、どこかポジティブさを感じていなかったのかもしれない。と、ふと気が付いた。

そして、どこか相反することこそ、まじわったときに大きな力を発揮できるのではないか?と、どこかで常日頃思っていたからかもしれない。

恋愛をすると特に、

価値観の違いで別れました。
あー価値観が違いすぎる。

という理由で別れを決意することや、そういった話をよく聞くのだが、そこにも違和感があったのかもしれない。なぜならば、人の数だけ価値観はあるのだと思っていて、極端な話、むしろまったく同じ人などいないといと思うからだ。だとしたら、「違う」を楽しんだり、活かすことのほうが、お互いに成長できるし、人生がハッピーなんじゃないか。って、どこか思っているからだ。

対局であればあるほど、交わったことで生まれることとは、似た者同士で作り上げる何かよりも大きな変革を起こせるのではないか。と改めて感じた日だった。

だとしたら、
違和感を感じた時ほど何かのチャンスなのかもしれない。

と書きながら思った。
地球規模の高次元で、「アウフヘーベン」ができるような人になれるといいなぁ。と思いつつ。今日は寝ようと思います。

次回は、今日の研修で学んだ「諦観」について書いてみようと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?