第4回 仕事と家を失い借金を抱えた男、マーク・ボイルに会いにいく

マーク・ボイルの『モロトフ・カクテルをガンディーと』(ころから)の翻訳者、吉田奈緒子さんが翻訳に取り組む過程での気づきや思いを綴ります。同時進行的に連載されていた紀伊國屋書店『scripta』からの転載を期間限定でお楽しみください。

****
 お金に頼らない 無銭経済《フリーエコノミー》 ── ローカルな贈与経済 ──を提唱・実践するマーク・ボイルに、翻訳者としてかかわって9年ほどたつ。これまで『ぼくはお金を使わずに生きることにした』『無銭経済宣言 ─ お金を使わずに生きる方法』の2冊を刊行し、いまも第3作の暴力論Drinking Molotov Cocktails with Gandhi(『モロトフ・カクテルをガンディーと』)と格闘中の身だが、まだ一度も本人に会ったことはない。
 ところが今年に入って、日本からはるばるアイルランド西部までマークを訪ねてしまう男性があらわれた。内海(うつみ)大輔さん、44歳。私が訳した本の著者に会いにいった人がいる! 訪問を思いたったいきさつやマークの現在の暮らしぶりがつづられたブログ★1を夢中で読みふけるうちに、直接お話をうかがいたくなり、2019年2月なかば、神奈川県横浜市の滞在先におじゃました。
 内海さんのアイルランド訪問に同行した動画制作者の嘉向(かむき)徹さん(新潟県佐渡市在住)も、出張先からかけつけてくださった。

 今回は番外編として、内海さんがまぢかに見聞きしてきた最新のマークの様子をお伝えしたい。

****
── 1月中旬から下旬にかけてイギリスとアイルランドへ旅されました。
「ここ「ごちゃまぜの家」の発起人である坂爪(さかつめ)圭吾さんがロンドンでトークイベントをすることになったのが発端です。周囲で「GO TO LONDON企画」が急浮上し、今日も同席してくれている徹さんたちがすぐに渡英の意思を表明しました。イギリスかぁ。行ってみたいけれど、借金をかかえたぼくには関係ない。そう思っていたところ、代理旅行、つまり「誰かの代わりに、何かを見たり体験したりしてくる」という旅の形を圭吾さんに教えられて」

「ごちゃまぜの家」とは、横浜市・菊名の閑静な住宅地に建つ、「誰でも、いつでも、家にあるものは無料で自由に使える空間」。この日は母屋の広い座敷で話を聞かせていただいた。

「圭吾さんがある人の依頼で沖縄の離島へ行き、当人になり代わって特別な岩をくぐってきた、と聞いて、頭にうかんだのがマーク・ボイルさんのことでした。若いころからお金に苦労しつづけだったぼくは、2冊の著書を読んで衝撃を受け、少しずつでも彼の生活ぶりに近づいていこうと考えるようになりました。とはいえ現実にはなかなかむずかしく、とうとう住む場所も職も失い、この家に一時滞在させてもらっているわけです。そこで、「多忙で行けない人の代わりにマークさんに会ってくる」のを一種の仕事として、イギリス行きを実現できないだろうか、と。マークさんがいまはアイルランドに住んでいることを、あとで知りましたが」

 イギリスのブリストル郊外でトレーラーハウス生活をしていたのは、彼がお金を一切使わない実験をはじめた2008年秋から3年ほど。その後、大地に根ざしたフリーエコノミーの実践・体験拠点を仲間と築くべく、著書の印税を投じて故国アイルランドのゴールウェイ州で1万2000平米の小農場を購入し、2013年に移り住んでいる。

画像3

内海大輔さん

── 内海さんは、そもそもどんなきっかけでマーク・ボイルの本を手にされたのでしょう。
「2014年ごろ、当時アマゾンのマーケットプレイスで営んでいた古本の商売がいっとき不調におちいりました。お金を使わずにすめばもっと楽に生きられそうだと思い、そうした系統の本を探しているうちに『ぼくはお金を使わずに生きることにした』を見つけたんです。それまでイギリスといえば、金融業が発達した競争の激しい国、すなわち利己主義の進んだ国、とのイメージを持っていたけれども、この本を読んで、日本よりも無償のやりとりが盛んで、都会でも助けあいの文化が根づいているように感じました。
 その数年後に自己破産を経験し、生活のためにいろいろな職場で働いてみたものの、興味を持てない仕事で疲労困憊する意味がしだいにわからなくなって。就職活動への意欲をなくし、貯金も底をつきかけた去年の秋、『ぼくはお金を~』を再読しようと図書館で検索したところ2作目が出ているのを知り、さっそく読んでみました」

── 『無銭経済宣言』はいかがでしたか。体験記だった第1作とちがって、けっして万人向けの内容とは言えません。
「これからの日本社会だけでなく、地球全体にとっても、ものすごく重要な本だと感じました。無銭生活のノウハウが載っている実践編もさることながら、前半の理論編のほうにぐいぐい引きこまれました。資本主義によっていかに地球が破壊され、人間も幸福になれないかが緻密に述べられ、論理の飛躍がまったくない。これはスゲー、と。まずはマークさんがすすめている有機農法を学ぶつもりで、農場住み込みのアルバイトも試してみたんです。自分の興味は農業よりも狩猟採集にあると気づく結果に終わりましたけれど。
 だから、せっかく地球の反対側に行くのであればアイルランドまで足をのばして、みんなの知りたいことをまとめてマークさんに質問できたら、人のためにもなるし、ぼくも楽しいし、日本社会の生きづらさの軽減にもつながるかもしれないし。そう心を決めて動きだしたのが、出発の1週間前でした」

── ふたをあけてみると、10万円近い旅費の寄付がわずか数日で集まってしまいました。
「渡航資金を託してくださった方のほとんどが、ブログ「ごちゃまぜの家日誌」の読者です。マークさんを知らなかった人が多いけれど、もちろん知っていた人もいます。マークさんの著書だけでなくスエロの本★2も読んだ方からは、「ぜひ本人に会ってきてください」とのメッセージとともに、お金や梅干しがなんとレターパックで届きました。レターパックで現金を送ってもらって、これで実際に会えなかったりしたら、本当に詐欺になっちゃいますよね。
 出発まで時間的余裕がなく、ロンドンでの宿が見つかっていないとか、マークさんとアポが取れていなくて留守かもしれないとか、行きかたがわからないとか、通訳がいないとか、第一、集まった寄付でロンドンまでの往復航空券は買えても滞在中に使えるお金が非常に限られているとか、悪条件だらけでした。でも、あとでブログで報告する予定だったので、ぼくの悲惨な状況はかえって読み物としておもしろくなるかな、という気持ちもどこかにありました」

── パッケージツアー以外の海外旅行がはじめてなのに、超低予算、しかも英語は得意なほうではない。「小中学生レベル」とおっしゃっていたのは誇張だと思いますが。
「結局、通訳として同行してもらえる人がロンドンでも見つからず、動画を撮ってくれる徹さんとふたりでアイルランド入りしました。目的地は住所に番地がつかないような田舎で、グーグルマップが役にたたない。マークさんは電話を持っていない。近くの町まで歩を進めても、マーク・ボイルの名前どころかノックモイルという地名すらも知っている人に会えないまま日が暮れていき、寒いし、雨はふるし、どんどん心細くなって」

──ブログの旅日記を追いかけている私もハラハラしどうしでした。探しあてられたのは執念のたまものですね。
「出資してもらって来ている以上、たどりつかないわけにはいかない、というプレッシャーで、とにかく必死でした」

── ついに念願の対面。予期せぬ遠来の客にマークはびっくりしたのでは?
「それが、さほどおどろくそぶりもなかったのです。いきなりのアポなし訪問で、夜八時ごろの真っ暗ななかにもかかわらず、警戒もせず気さくに話しかけてくれました。本やウェブサイト(2020年現在は閉鎖)で見た写真とちがい、髪もヒゲも伸ばしているから、すぐに本人とは気づかなくて。でも、よく見ると目元は変わっていない。最初の本では29歳の若者だったけど、39歳になったいまは若者とおっちゃんの中間ぐらいで、風格が感じられました。「英語が苦手であまり聞きとれないんです」と詫びたら、「ぼくだって日本語が苦手だから、おたがいさまですね」と返ってくる。思ったとおり、いや、予想以上に優しく、謙虚で、素朴で、ユーモアのセンスがある人でした。今晩泊まっていくでしょ、と案内されたのが「ザ・ハッピー・ピッグ」」


画像3

右から・ザ・ハッピー・ピッグ。豚舎を改築した無料宿泊所兼イベントスペース。/奥には卓球台やサッカーゲームも。/ハッピー・ ピッグのコンポストトイレ(写真・内海大輔)


── 古い豚舎を改築したという、無料の宿泊所とイベント会場を兼ねたスペースですね。内海さんはブログに「マークさんが著書の売り上げで作った」と書いていらしたけれど、実際は足りないお金をクラウドファンディングで調達していました。
「あ、ごちゃまぜの家の設立資金や、ぼくらの旅費と同じだったのですか。
 マークさんはあいにく新しい本の締め切りまぎわで、ゆっくり説明してあげる時間がとれず申し訳ないと言いつつも、寒くないかと追加の毛布を持ってきてくれたり、オーツ麦やパンやジャガイモを分けてくださったりと、心づかいがありがたかったです」

── 新しい本とは、イギリスで4月に刊行されるThe Way Home: Tales from a Life Without Technology ★3(ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした(仮))、マークが電気、水道、ガス、携帯電話、パソコンなど、現代社会のテクノロジーを手ばなした2016年末から1年間の記録ですね。いま取りくんでいる3作目につづけて、また私が翻訳を担当します。
「そうそう、日本語版が出るまで2年かかるだろうと話していましたよ。奈緒子さんによろしくとのことでしたが、もうちょっと早く出してほしいんだけどなー、という顔をしてた。ぼくが1作目や2作目の話ばかりするものだから「それはもう昔の話」と言われたりして」

── わっ、まずい。やっぱり遅すぎると思われていたか(笑)。本の締め切り前だったなら、内海さんたちが滞在した3泊4日のあいだ、彼は部屋にこもりきりでした?
「そんなことはありません。生活上のあれこれも、ふだんどおりこなしている印象を受けました。ハッピー・ピッグの脇に積んである薪(まき)を整理したり、農園を見てまわったり。
 せめて何か手伝おうと思って薪割りを教えてもらったけれど、はじめてのぼくたちにはコツをつかむのがむずかしく、はたして役にたてたのかどうか。薪ってけっこう消費するんですね。ハッピー・ピッグのストーブでも、長さ50センチくらいの大ぶりな薪が一晩に5~6本必要でした。ガンガン暖房をきかせてTシャツ姿ですごすような使いかたはしないで、と初日にクギをさされていました。でも薪ストーブはいいなぁ。ぼくも薪を使う生活がしたい。
 マークさん自身は、元・彼女や友だちと協力して建てた小屋に住んでいます。彼女とわかれて、現在はひとり暮らしですが」


画像3

マーク・ボイルが住む家(写真・内海大輔)


── そういえば第4作の草稿に、「一か所に定住するタイプでない恋人は出ていってしまったけれど、いまも友だちとしてときどき遊びにくる」と書いてありました。
「外で作業中の彼に、あとで小屋のなかを見せてもらえないかと頼んだら、勝手に入って自由に見ていいという。どこまでオープンな人なんでしょうか。入るときは靴をぬいでドアをきちんとしめて、と言われただけ。壁はストローベイル(麦わらのブロック)を使っています。天井も床も家具も木でできており、落ちついた雰囲気でした。本もたくさん並んでいました。建築費用はさすがにゼロとはいかず、おもに床材、窓ガラス、クッカー(上部で調理ができる薪ストーブ)の購入にお金がかかりましたが、周辺の一般的な家の十分の一ほどの出費ですんだそうです」

── 室内の写真も拝見すると「大草原の小さな家」みたいです。
「小屋には電気もガスも水道もインターネットも通っていません。電灯の代わりにロウソク、水道の代わりに湧き水、ガスの代わりに薪、インターネットや電話は使わずに手紙。家のなかにトイレはなく、ハッピー・ピッグのコンポストトイレを使っています。ハッピー・ピッグには来訪者用に電気もガスも水道も★4、簡素なシャワーもついているんですが、自分では使わず、小屋の薪ストーブであたためたお湯を浴びているとのこと。飲み水は、100メートルほどはなれた民家に湧いている水をくみにいっていました。一番おどろいたのが、時計を持っていないところです。時計にしばられない生活はうらやましい。
 マークさんがAn Teach Saor(アイルランド語で「自由の家」)と名づけた敷地内に、ごくふつうの一軒家もあって、友だちのブライアンさんに無料で貸しています。この建物には電気・ガス・水だけでなくWi-Fiの電波も来ているんです。おかげでネットにアクセスして、ロンドンに戻る航空券を購入できました」

 この農場にもとから存在し、移住当初はマークと仲間が住んだ家だ。スイッチひとつで明かりがつくような便利さのせいで重要な生活スキルが失われていくことに抵抗をおぼえ、自分たちの手であらたに小屋を建てる過程も、最新作The Way Homeには描かれる。それらの実物を「代わりに見て」きてくださった内海さんのお話や写真、嘉向さんの動画は、翻訳の際、おおいに参考になるにちがいない。

「マークさんが執筆に追われていたのと、こちらの英語力不足とで、あまり詳細に質問できなかったことが心残りです。それでも、最終日に徹さんとハッピー・ピッグを掃除していたのが心証をよくしたのか、それまで立ち話だけだったけれど、はじめてイスに腰をおろして、ぼくの手描きの農場見取り図に説明を書きいれながら、それぞれの用途を教えてくださいました。堆肥置き場、たき火をする場所、リンゴをつぶす道具、露天風呂、などなど。
 ぼくの場合、無銭生活への関心は「必要にせまられ」「やむをえず」なんですよ。もしもお金があったら、六本木ヒルズに住んでテレビでサッカーの中継を見まくっている。そういう人間です。電化製品やプラスチックなどの使用は減らしたいけれど、電気をまったく使わない生活、ネットのない生活を真似したいとは、正直言って思えない。だから、今回マークさんに会ってもっとも感銘を受けたのは、ぼく自身の現実よりすでに何段階も先へ行ってしまった彼の生活様式ではなく、その温厚で飾らない人柄や、こまやかな気くばりでした。著書を読んで彼のファンになりましたが、実際にお会いして大ファンになりました。人に無償で与える暮らし、奉仕する暮らし、優しさなどは、これからも見習っていきたく思います」


(1)「ごちゃまぜの家日誌」
https://gochamaze.hatenablog.com/archive/2019/1
写真も多数。
(2) マーク・サンディーン『スエロは洞窟で暮らすことにした』吉田奈緒子訳、紀伊國屋書店、2014年
(3) 最新作 The Way Home のプロモーション動画で、最近のマーク・ボイルの姿を見ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=hxy2wPvxPnk
(4) 電動ポンプくみ上げ式の井戸水と思われる。

吉田奈緒子(『モロトフ・カクテルをガンディーと』訳者)
初出:『scripta』spring 2019



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?