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本をたくさん読む人になりたい

読書家ではない。中学生の時の読書感想文は映画化された小説を選び、DVDを借りて“鑑賞”し読んだかのように感想文を書いた。

小学生の頃、図書室で借りた本の冊数をランキングしていたが休み時間も教室でじっと本を読んでいる”ランカー”たちをみて、私もランキングに載ってみたいし、黙って本を読む→近寄り難い雰囲気→ミステリアスな人間。と言うイメージを周囲に植え付けたいとも思っていた。

しかし私は本を読むより、休み時間はおしゃべりしたいしブランコにも乗りたいし鉄棒をぐるぐる回りたかった。本読みに費やす時間がなかったのだ。ミステリアスな雰囲気はアラフォーになった今でも憧れるが、ついぞそんな印象を持たれたことは未だかつてない。。

そもそも本を読むことが苦手なのは、本を読んでいるのに別のことを考えることが多いからだと思う。考え事をしながら読むと内容が入ってこないので考え事をする前の文章まで戻ってまた読み始めなくてはならない。集中していないと本当に時間の無駄遣いなのだ。今まで誰にもきいたことはないけれど、こんな読み方をするのは私だけだろうか。。

そんな私が最近本を読み始めた。10年以上勤めた会社を辞め、時間がたっぷりできたからである。何回読み返して無駄な時間があってもヨユー、ヨユー^^と思えるほどの。まず読んだのは東野圭吾作品。ドラマ化されているもので、ドラマを観ていないものにした。スマホでキャストを調べ、登場人物をキャストで思い浮かべて読んだ。わりとあっさりと4冊読み終えた。読んだ後はまとめてメルカリに出品した。名が売れてる作家さんの本はこれまたあっさりと売れた。メルカリも読書も元気が無くても時間があると何でも出来る。この歳になって知ったのは正直元気だけじゃダメなこともあるってこと。 笑

次に読もうと思っていたのが【星の王子さま】だ。言わずと知れた超有名なサン=テグジュペリの小説だ。近くのTSUTAYAの文庫本のコーナーで星の王子さまを探すと、訳者が違うもので5冊ほどあった。どれも一緒かなと思いつつその中から1冊ずつ手に取り冒頭の「レオン・ウェルトに」から始まる文章を読んだ。ほとんどが直訳なのか、何だか倒置法だらけの堅苦しい文章の中、唯一ストンと理解しやすかった倉橋由美子さんの訳した星の王子さまを購入した。本のカバーの裏側(その場所が何というのか読者家じゃないのでわからない)に訳者紹介があり、「本書の翻訳が最後の仕事となった。」という一文にもどこかグッとくるものがあった。

そしてこの、倉橋由美子さんの星の王子さまを読み終えた今、倉橋由美子さんの他の本を読もうと思っている。訳者あとがき、更には古谷美登里さん、小川系さんの解説を読んだら倉橋さんにとても興味を持ったからだ。

本を読むということは自分自身が王子さまになって色んな星を巡ることと似ている。生きていれば。。身近に居れば、実際に会ってコミュニケーションが取れるかもしれない。でもそれがかなわない人たちと出会うことが出来るのか。と思ったら読書欲が少し湧いてきた。

今、これを書いている途中に著者紹介を見ていたら『サン=テグジュペリはコルシカ島から偵察飛行に飛び立ち、地中海上空で消息を絶った。』というところでまた考え事をしてしまった。肝心なことは目には見えない。大切なものは、目には見えない。とてもひろく世界中で読まれている本だから色んな解釈があるだろう。私もこれまでの生き方を反芻しながら色んな解釈をしている。一つ言えるのは子どもの頃に読まなくてよかった。読書ランキングに載らなくてよかった。読書家を否定するわけではないけど、そうだ、私は数学のノートに「数が苦」と書いていたくらい数字嫌いだったと思い出した。

そして、死ぬまでに星の王子さまミュージアムに行きたいと言う夢が爆誕。これは余談だけれども日本で最初の星の王子さまの訳者 内藤濯(あろう)さんの名前がカッコ良い。子どもの名前につけたかったなぁ。英語だとarrowで「矢」だし。とまた他のことを考えすぎだな。笑

光陰矢の如し。 出来ることはできるうちに。想いは思った時に綴ろうと思った私のnote初投稿。


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