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勝ちたいなら、白旗をあげろ。【“新“社会人の君へ】

これから新社会人となるキミへ、心から言わせてください。

おめでとうございます!

だけど、「これから社会人の仲間入りだ!大人だ!」と意気込んでいるキミに、僕は伝えたい。「キミはまだ、15歳のまま」ということを。

別にディスってるわけではないんです。むしろ、それを羨ましいとも思うし、素晴らしいとも思うし、同時に、僕の中にも15歳の自分がいると、思ってます。

魅力的な異性を見ると興奮するし、友達とバカみたいに笑い合えるし、泣きたい時は泣くし、大きな夢をもつ事だってできる。そんな可能性溢れるキミが、現代の社会人という一括りの枠で自分を殺してしまわない為に、僕なりのメッセージを書いていこうと思うのです。

1番伝えたいのは「キミのこれからに、不正解はない。」ということ。

人生って、選択の連続です。今この記事を読んでいるのも「なんだこれ」と気になってスマホをタップしたキミの選択。今キミがスマホを持っているのも、全てはキミが選んだ選択。

「人生は選択の連続だ」なんて名言を見ると、思わず「うっせーわ」と言いたくなるほど、世の中は綺麗事で溢れています。

でも、これは間違いではない。そして、これからキミは、数えきれないほどの選択をしていく。もしかすると「死」という選択をする人がいるかもしれません。

出だしからキツめの内容で申し訳ないのですが、よければ聞いてください。キミは成功できるとか、不可能はないとか、そんな絵空事を並べるつもりもないんです。だって、これからキミが歩んでいく世界には、今まで見たこともないような「絶望」が不敵な笑みを浮かべて立っているのだから。

僕がキミに託したいのは、この「絶望」を倒す立ち回りとか、ちょっと戦闘を有利に進められるようなアイテムなのです。

負けないために、白旗をあげる

「何言ってんの?白旗あげたら負けるじゃん」なんて言わず、まあ聞いてください。ドラクエみたいなゲームをやる人ならわかると思うんですが、人生には「負けイベント」が存在します。何をどうしようが勝てない設定になってるイベントです。

ゲームであれば「なんだ負けイベントか」と気にせず進められるんですが、人生ってなると、なかなかそうはいかない。勝てる方法がある気がするし、勝てないのは自分のレベルが低いだけだと思ってしまう。

そんな時に役立つのが「白旗」なのです。これから社会人として生きていくと、強制的に「間違った道を歩かされる」とか「どう考えても理不尽すぎること」が雨のように降ってくる。そんな時は、迷わず白旗を振ってください。戦略的撤退をしてください。

これは自分事になるのですが、僕の「負けイベント」のお話を少し。

21歳くらいだったかな。実家の駐車場で洗車をしていると、弁護士が来ました。僕は赤い封筒を渡されます。中身は、現金200万円の請求書が入っており、当時の全財産は300円です。マジで、死ぬしかないと本気で思いました。

どう考えても、負けイベントですよね。

親に見られたらまずいし、かと言って払うお金なんて無いし、その時僕ができる唯一の対策なんて「請求書を燃やすか、臓器売るか、死ぬか」です。

僕は迷わずZippoのオイルとライターを持って、請求書に火をつけました。今考えたら、燃やしてもまた届くだろって感じですが。当時の僕には、絶望を炎が消し去ってくれるような感覚があったことを、未だに覚えています。切羽詰まった21歳のできることなんて、このくらいですから。

ですが、これが僕の中での「白旗をあげる」でした。

燃やして見てないフリをすることで、自分を守ってあげることができた。

ではこれが、責任感の強い人やストイックな人だったらどうなるか。世の中を見てください。止まらない請求書で「死」を選んでしまう人は、毎日数えきれないほど存在します。

そんなの燃やして、自己破産でもして逃げればいいのに。誰にも頼らず、ありもしない勝ちを信じて、ひたすら武器を振り回す。そうして自分を殺してしまう。人生はゲームではありません。死んだらセーブポイントから再スタートなんてない。

だからこそ、僕は伝えたいんです。

なんでもいい。今のキミができる範囲の「白旗」を準備しておいてください。戦っても良い、だけど負けイベントなら、潔く負けてください。

「白旗をあげる=負ける」という選択は、その時は間違いのように感じてしまうかもしれない。

だけど、たとえキミがどんな選択をして、どんな道を選んだって、必ず正解の道に繋がってるんです。負ける勇気を持つことが、上手に生きる最終奥義だったりする。

乗り越えられない壁はないとか、よく聞くじゃないですか。そんなのは嘘っぱちです。乗り越えられない壁なんて無数にあるし、全ての壁を乗り越える力なんて必要ない。

本当に必要なのは、乗り越えられない壁なら、乗り越えられる壁を探すくらいの、柔軟さの方が役に立つんです。

でも、ここで1つ言っておかなければいけません。乗り越えたくない壁は乗り越えなくていい。だけど生きていると、乗り越えなければいけない壁も出てくる。そう、mustの壁です。

何も「壁なんて全部スルーしちゃえ」と言ってるわけではないんです。これからのキミには、mustの壁がやってきます。

問題は見分け方なのですが…。

実はコレ、カンタンです。

「壁の先にワクワクするご褒美があるとき」

これが、キミが乗り越えるべき壁。

社会人になると、

・大人として
・もう社会人なんだから
・そんなんじゃやっていけないよ
・もっと大人になりなさい

みたいな、大人にならないといけない壁を押し付けてくる、クソ野郎がたくさんいます。

だけど、大人としての対応とか、大人としての責任とか、そんなものはもっともっと大人になってからでいい。

つい最近まで子供だったキミが、いきなり大人になんてなれるわけがない。だって、中学生の時から、ほとんど変わってないんだから。

ちょっと厨二病が抜けたとか、反抗期じゃなくなったとか、違いなんてそんなもん。好きな食べ物、好きな場所、行ってみたい国、仲の良い友達。ずっと変わらないんです。人間って。

僕だって、未だに「サイコキネシスで物体を動かす練習」とかしてます。まだ動かせてないけど。

そんな子供のままの自分を、社会は立派な大人としてどんどん責任を押し付けてくる。どんどん結果を求めてくる。

それを全て、バカ真面目に受け入れてたら、誰だって壊れてしまう。

大人っていうのは、そういう責任とか結果とか、社会からの要求もある程度こなしつつ、自分だけの秘密基地を持っている。真面目なフリをするのがうまい、バカ野郎。これが大人だと思うのです。

本当の大人は、子供のように人生を楽しんでいるんです。

だから、これを見ているキミも、その友達も、「負けイベントはさっさと白旗あげて逃げちゃえ」くらいの不真面目さを持って、ずっと15歳の心を忘れずに、これからの世界に踏み出してみてください。


そうすると、気付かぬうちに大人になってるもんです。

それでは、今日はここまで。アデュー

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