拙著『B面エッセイ』より裏方へのあこがれ 公開!
「なんてことのない作業が この世界を回り回って
何処の誰かも知らない人の笑い声を作ってゆく」
バタフライエフェクトという考え方が好きだ。
ご存じの方も多いと思うが、バタフライエフェクトとは、カオス理論の1つで、小さな力学的変化が大きな変化につながるという考え方である。蝶の羽ばたきが少しずつ他のものにも変化を与えて、最終的に竜巻になる…。といったような考え方だ。ミクロな変化がマクロな変化を起こすという不思議さに、何度も唸ってしまう。
小学生の頃、Uさんという女の子がいた。彼女はクラスで目立つタイプでもなく、物静かな子だった。そんな彼女とわたしとの接点はほとんどなく、わたしはサッカーに明け暮れていた。
ある日の放課後、校庭でサッカーを楽しんだ後、忘れ物を取りに教室へ行った。すると教室にはUさんがいた。何をしているのかと聞くと、小さな声で「魚にエサをあげているの」と答えた。
わたしは驚いた。てっきり水槽の魚の世話は、先生がしているものだと思っていたのである。どういったいきさつでUさんがエサをあげることになったかはわからないが、その時の彼女の誇らしい笑顔は、今でもはっきりと思い出せる。
それからというもの、わたしも先生に頼んでエサをあげるようになった。Uさんとは当番制にし、月・水・金はUさんが、Uさんが塾へ行く火・木はわたしが魚の世話をする。
魚の世話は面白く、そのままの勢いで飼育委員にもなった。
恥ずかしながら、幼少期のわたしは目立つものにしか目を向けなかった。というより、目立つものにあこがれていた。小学6年生で生徒会長になったし、一番を取りたくて公文組(公文式という塾に通う一派)に負けないよう夜まで計算問題を解いたりしていた。目立つもの=カッコいいという方式が、頭の中でできあがっていたのだ。
そんな中で、日常の些細な変化を楽しむことのできる人を見て、目が開かれた。そして、自分も日の当たらない場所でひっそりと活動してみたくなった。
一方で罪悪感もある。目立たないものに光を当て、それを目立つ場所に置いていくのは資本主義の仕組みでもあるからだ。Uさんの迷惑になっていなかったか。Uさんの居場所を奪っていなかったか。今となってはそんなことを考える。
このような幼少期の体験は、間接的にわたしの進路を決めることとなった。わたしの仕事であるソーシャルワークは、光の当たらない部分を探し、そこで困っている人を支える仕事である。そしてもちろん、主役はわたしではない。
この仕事の妙味は「さりげなさ」にある。さりげなく支援をし、さりげなく去る。それができれば一人前である。なぜなら、人生の主人公はいつもユーザーだからだ。
ソーシャルワーカーは、バタフライエフェクトを起こす蝶のようだ。ほんの些細な揺さぶりをかけるだけ。そして些細な揺らぎが大きな変化を生む可能性に賭ける。そんな地道な作業の繰り返しである。しかしわたしは喜びを感じる。ソーシャルワークは、ユーザーが自分の人生の可能性に気付き、ポジティブになっていくことを間近で見られる貴重な仕事だからだ。
裏方仕事は楽しい。たとえ自分にスポットライトが当たらなくても、わたしの一言や、
気付かれないくらいの支援がユーザーを変えていく。人生を変えていく。ということで、わたしはいつまでもユーザーのB面でありたいと思う。