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11月 秋田県仙北市角館・武家屋敷の紅葉

 小京都と呼ばれる都市や地域の集まる団体として「全国京都会議」というのがあります。それは京都市を含む27市町により、1985年に結成されました。その加盟基準は、つぎのとおりで、1988年の第4回総会で定められたのだそうです。
   ① 京都に似た自然と景観があること
   ② 京都との歴史的なつながりがあること
   ③ 伝統的な産業と芸能があること
 上記の3要件の1つ以上を満たしてれば、常任幹事会で加盟を承認されるのだといいます。で、その事務局は「本家」京都市の観光協会内に置かれています。

 加盟市町の数が最大に達したのは1999年度だそうで、このときは56市町を数えました。以後2018年度までに合計63市町が入会し、再入会を除いて19市町が退会したようで、今年2019年4月時点の加盟市町は44だったようです。
 退会の理由としては、財政難や観光客誘致への利点が乏しいこと、あらためて歴史を振り返ると「城下町として発展した」ので「小京都と呼ぶのがふさわしくない」などが挙げられています。
 さらに「京都の亜流」ではない「独自性をアピールしたい」といった動機を挙げる自治体も出てきたのだそうです。まあ、結構な話だと考えるべきでしょう。

 ところで今回ここに紹介する秋田県仙北市の角館地区は、今なお「みちのくの小京都」として名を馳せる美しい街です。その写真を眺めていて、ふと西洋史学者だった木村尚三郎さんの、
 「振り返れば未来」
 という名文句を思いだしながら、こんなコラムを書いてみました。

 旅先としてのイタリアの人気が高い。この国の人々が人生を楽しんでいるのが実感できるからだろう。風景や生活が都市ごとに個性的で、それぞれの場所で、革製品をはじめ、素材の資質を熟知した優れたデザインの品物に出会えるからでもある。
 背景には人々の生まれ育った土地への強い愛着がある。それなしに優れた物産を生み出す美しい都市は育たない。「東京での成功」が最大の目標であるうちは駄目だといってよい。

 さて、この武家屋敷の見事な紅葉は何としたものか。美しい風景の端緒は一七世紀、京の公家の血を引く佐竹氏の街づくりにある。室町以降、都の景気を映す洛中洛外図屏風や祇園祭を頼りに「小京都」づくりが流行った。そのひとつが京都と同様、二つの川が合流する横手盆地の角館であった。
 佐竹氏は都に似せて枝垂れ桜を植え、学芸を奨励し、街の随所に京都の地名を引用した。それが400年後、この土地の風土や人々と馴染んで独特の都市を生み出したのだ。

 むろん城下町ゆえ、京都と違って十字路はない。道の出合う交差点の多くは「丁」字型にしつらえてある。しかし「火除け」の広場を中心に広がる町並みは整然としていて、その一角に武家の格式を示す屋敷町がある。
 11月、門のかたわらに馬つなぎ石や馬乗石の姿が見える黒板塀に囲まれた、その庭の落葉樹が一斉に紅葉する。そういえば角館には、明治維新で家禄を失った武士が作り始めた特産の桜皮細工がある。全国の都市の多くが「東京を真似る」時代にも「みちのくの小京都」は旧藩時代の心意気を秘めて時代の推移を待ったのだ。

 「振り返れば未来」――古く封建の時代に、その土地の人々が培った都市景観を愛でながら、やがて土に還って翌年の新緑を育てる美しい紅葉を眺める。と、東京とは明らかに異なる「もうひとつの日本」が健在なのだという感慨に浸ることができる。そこに新しい季節と新しい時代の到来が見通せるかのような気分が醸される。

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