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3月② 雪解川あらう岸辺の丸小石(長野県白馬村の清流・早春の姫川)

          写真:長野県白馬村の清流・姫川(撮影:薩摩嘉克)

 2月の記事「福井県(旧)三方町、湖畔の火の見櫓」について、民俗学者の古い友人から、つぎのようなコメントが届きました。

 「番太郎」の主たる役割が「火事の警戒」だったかのように読めるのだが、それは誤解を生むかもしれない。彼らの主たる役割は村落における犯罪人の取り締まりや逃亡阻止などだった。

 で、番太小屋に火の見櫓が設置されていた例は少ないと思う。それに、番太小屋は都市よりも村落におけるものが多かったはずだ。

 なお、番太小屋にいた人は柔術や棒術に優れた非人で、牛馬の解体に伴う肉食をして、頑健な体だったという話を聞いたことがある。という意味で差別問題に抵触する可能性をはらんでもいる」

 いやはや、常づね「知らないことのほうが多い」と思ってはいるのです。が、まあ、下手な文章を書いて他人様に読んでもらうことで、新しいことを教わるきっかけになることのありがたさを噛みしめている次第です。

 という意味では、本文にも記したように、庭や自然の成り立ちについての知識のかなりの部分は、これまた古い友人に教えてもらったものです。

 「高い山脈のある大陸の河川の多くは『ミルク川』になる。氷河が削った石灰岩の細かい粒子が水に溶けるからや」

 この話も、その友人に教わったような気がします。たしかにヨーロッパ大陸や北米大陸で見た大河は白く濁っていたものです。

 そういえば、ウイスキーの産地として有名なスコットランド高地の川は、透明ではあるのですが、茶色を呈していました。
 それは、燻らせてウイスキーに燻煙香をつけるピートと呼ばれる泥炭の色素が水に溶けたもののようです。

 してみると河川の相貌は、土地ごとの文化を生み出す要素を象徴する場合があるらしいと言えそうな気もします。そんなことを思いながら、こんなコラムを書いてみました。おひまなときに、ご覧ください。

 遠景の積雪の山はヨーロッパ・アルプスとも見える。が、手前に和風の茅葺き屋根が見える。もっとも、建築は移築かも知れぬ。
 が、透明な水と丸い小石の川岸から日本の川であることが疑えなくなる。ヨーロッパなら巨岩の狭間を、氷河が浸食した石灰岩の粉末で白濁した水が流れているはずなのだ。

 そういえば子供のころ、海のない京都盆地で育ったぼくが夏に泳ぎに行くのも、小石を積んで囲った「川の中のプール」だった。岸辺の小石と清流こそが日本の川の原風景を形づくってきたのだ。

 それをそのまま日本庭園に取り入れて「洲浜(すはま)」の名で呼ばれる水辺が形成される。
 三重県上野市の城之越遺跡の「最古の庭園」にも、池の縁に玉石を敷いた洲浜がしつらえられている。

 それに比べて中国からインド、イスラム圏を経てヨーロッパに至る地域の庭園の水は普通、加工した石で築いた池に囲いこまれている。そこでは水量の多寡が石の垂直面に自らの存在を正確に刻印する。

 それが洲浜なら、水と陸の境界は自然に、かつ融通無碍に溶け合うことになる。

 造園学の白幡洋三郎氏さん(国際日本文化研究センター名誉教授)、造園学)の話でも、

 「平安時代に書かれ、のちに『作庭記』の名がつく庭づくりの秘伝書に、洲浜のことが書いてある。
 京都・東寺の五重塔のてっぺんと同じ高さの一条から、五重塔のある九条まで、ゆったり流れる鴨川の、玉石が形づくる岸辺の風景が日本庭園の水辺の意匠の基本になったらしいわ」

 そんな日本の川の風景が、コンクリート護岸を施された現代日本の河川によみがえる日が来るのだろうか。
 残雪の北アルプスを背景に、伝統的な茅葺き民家が残る白馬村を、とうとうと流れる姫川の清流には、日本文化の粋のひとつを生みだした日本の自然が息づいている。

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