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〈実話前世👘番外編〉熊倉の戦いで戦死した、佐藤銀十郎の正体

2016年某月某日。
マミコと父トシオと私の3人は、群馬県高崎市倉渕町にある、
東善寺、というお寺に行きました。

こちらのお寺には、幕末で活躍した小栗上野介忠順の墓があるのです。
小栗上野介といえば、徳川埋蔵金伝説の張本人だとか、横須賀造船所設立とかで有名ですよね。
小栗上野介の墓所は
歴史好きな父トシオが前から行きたかった場所でした。




⛩️本堂内の資料室で、懐かしい写真を発見


小栗上野介の墓がある東善寺の村上住職は、
小栗上野介研究を長いことされていて第一人者でいらっしゃいます。
調べたことを、本堂内に資料室を設け
ところ狭しと掲示&陳列されていました。


お墓参りをする前に、
私達も資料室を拝見することになりました。


村上住職「こちらに、色々資料がありますので、是非ご覧になってくださいね」


私は、小栗上野介のことは、
歴史ドラマで取り入れた知識程度のことしか知りません。


「へぇ~。。。」と思いながら(テンションもこんな感じ)、
資料室に入りかけたその瞬間。


廊下の壁の上の方に貼ってある、
1枚の墓の写真に目がとまりました。


佐藤銀十郎の墓。




⛩️また開く、パンドラの箱

私「佐藤銀十郎? どこかで聞いた名前。
はて、どこだっけ」


父トシオやマミコは、資料室の中に入ってしまいました。
私は資料室の入口で立ち止まり、
佐藤銀十郎の墓の写真をまじまじとみました。


佐藤銀十郎は、小栗上野介の奥方達が逃げのびるのを警護しながら同行した、
銃の使い手だったそうです。



私「小栗上野介のことをよく知らない私が、
なぜに『小栗の奥方の逃亡の警護をした人の名前』を知っているんだろう。はて?」




⛩️佐藤銀十郎の墓の位置


私はもっと詳しく、その墓の写真を見ました。
なぜか私はこの人の墓参りもしたような気もします。
つまり
この、田舎の墓地にも行きました。


私「あ、、、熊倉?」



写真には、福島県熊倉で撮影とありました。



熊倉だ!

この人、熊倉の戦いでなくなった人だ!


会津藩軍側で、熊倉の戦い関係でなくなったのは、
この佐藤銀十郎と、怪我をした遠藤嘉龍二だけでした。




あの白虎隊士達の霊と行った会津~新潟ドライブから、
6年が経とうとしていました。
マミコは2014年からうつ病と若年性認知症を発症し、
先祖霊とした話は、ほとんどしてくれなくなっていました。




⛩️村上住職の顔が変わる

私は思わず、そばにいらした村上住職に声をかけました。


私「この、佐藤銀十郎さんのお墓、
行ったことあります」


村上住職「え!熊倉に、行かれたのですか!!!」


住職の眼鏡の奥の眼の色が変わりました。


父トシオ「あ、ほんとだ。熊倉だここ。行ったね~✨」


村上住職「そうなんですか!!!
もしかして福島県の方ですか?」

私「いえ、東京です」


一番驚いているのは、村上住職です。
福島県の熊倉という全然観光地じゃないところの田んぼの真ん中の墓地にある、
ほとんど知られていない武士の墓に、
わざわざ東京から家族で訪れたと言っている人が突然現れたのですから。



⛩️案内板を作ったのは、村上住職


村上住職「佐藤銀十郎の墓の横に、
墓の説明の案内板を建てたのは私なんです!!!!」

私「読みました!その案内板!」


まずい、村上住職の、話の食い付きようだと、
そもそも何故熊倉なんかに行ったのかと聞かれそうだわ。

そうなると、
「えっとお、父の前世が白虎隊士で、熊倉の戦いでなくなったんですぅ~🎵」
とかカミングアウトする羽目になって来たりして⁉️


そんな摩訶不思議な理由を話してしまっても大丈夫なのだろうか😅。
その時です。
檀家の方が見えたので、村上住職はそちらに対応に行かなくてはならなくなりました。
村上住職は、後ろ髪を引かれる思いで席を外されたのは、
みていてよ~く伝わりました。


まさか、群馬県倉渕で、
福島県熊倉の話で盛り上がるとは、ね(笑)。



⛩️佐藤銀十郎は、何故なくなったか


佐藤銀十郎は小栗上野介の奥方の護衛をして会津まで届けたあとは、
会津朱雀隊に編入して戦い、熊倉の戦いで嘉龍二達白虎隊と合流したのです。
佐藤銀十郎、その時、21歳。
白虎隊士達の目には、数個歳上の頼れる人に映ったでしょうね。



マミコの霊視だと、熊倉の戦いは、そんなに緊迫していなかった。
仲間内で談笑している風景も視えた、と言っていました。
そもそもこの戦いは、会津藩側の勝ち戦だったのです。


そんな中、唯一この日に戦死した佐藤銀十郎は
弱かったから撃たれたと、私は思っていたのです。


しかしそれは、大きな間違いだったと気づきました。


佐藤銀十郎は、銃の腕前が良すぎた為に、
敵からの集中射撃に遭ってしまったのです。


2013年の大河ドラマ『八重の桜』でも、こんなシーンがありました。
八重(綾瀬はるか)も銃の腕前がよく、
会津城の籠城戦では指揮をとるようになっていました。
よくみていると、八重は、撃つ場所を頻繁に変えているのです。


つまり、ある位置から飛んでくる銃の弾が正確で、何人か殺されたとすると、
敵は逆にそこを狙って、まず銃の腕前がよいそいつから倒そうとしますよね。
八重は、撃つ場所を頻繁に変えて、それを逃れました。
佐藤銀十郎はおそらく野外戦で移動ができなかったので、
敵からのターゲットにされてしまったような気がします。




今ならこう思います。
村上住職はお寺のお坊さまですので、幽霊とか前世の話をしても、
多少は受け入れてくださったのではないかと。
もう少し、お話してみたかったなあ😊💕。



⛩️トップ画像について

余談ですが、このトップ画像は、
幕末時代の会津藩の住所マップです。
どこに誰が住んでいたか一目でわかります。

会津の図書館の資料室の奥の方から、
図書館司書の方がこの地図を出してきてくださいました。
館内でコピーをして、
父トシオが家に帰りつなぎ合わせたものです。
色も、トシオがつけていました。


トシオには霊感はないですし、前世も全く覚えていないみたいですが、
自分が生きていたであろう時代のマップを貼り合わせて、
何かを感じたか、感じてないか😁。
いや、何も感じてないか(笑)。



椿あんこでした。
今日もお読みくださり、ありがとうございました❗



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