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「山崎怜奈という歴史」

アイドルと学業の両立。
自分を奮い立たせなければ保てないほどの壮絶な試練。
乃木坂46、2期生山崎怜奈は試練の連続から始まることになる。
最初はアイドルになりたかったわけじゃない、アイドルがなんなのかもよくわからなかった。
それでも旧友である1期生井上小百合の活躍に感化され、自らもアイドルになることを選んだ。
なったからにはアイドルとしてもっと活躍したかった。
選抜に上がる為になにをすればいいのか、必死にもがき苦しんだ。
それでもなかなか回ってこない順番に、自分は違うんだとシフトチェンジした。
アイドルとして王道ではない、私は "じゃない方" だと自らにレッテルを貼る。
しかしいつからかそれは後ろ向きなものではなく、それこそが自分の生きる道だと知る。
自分の歩んだ道に間違いはなかったと、確信を得るまでに費やした期間はおよそ7年。
そうして拓けた道は彼女にとって最高の人生の幕開けとなった。
大学を卒業して少しは休む時間も作れただろうに、彼女は止まらなかった。
学ぶことを止めることなく常にインプット、アウトプットを繰り返す。
知らないことを学ぶ喜び、知りたいことを極める充実感と、その都度得ることになる疲労感さえも生き甲斐であり、それこそが山崎怜奈の本質であるといえる。
歴史番組、クイズバラエティ、通販番組など活躍の幅はどんどん広がっていく。
乃木坂46に於いて選抜にいないメンバーとしては異例の抜擢だ。
アイドルとしてデビューして学業との両立を選んだ過去がなければ決して辿り着かなかった道だ。
そして山崎怜奈がこれまで頑張ってこれた背景に欠かせないひとつがラジオの存在である。
学生時代の彼女を支えていたのはラジオから流れてくるラジオパーソナリティ達の軽妙なトークだった。
それは寄り添うようにいつも彼女のそばにあり続けた。
そして今、山崎怜奈はラジオを通して誰かのそばに寄り添う側にいる。
今では名だたるラジオDJを巻き込みラジオ界を掻き回す曲者のような存在にもなった。
それでいてグループの仕事を休むこともないのだ。
今も尚、個人仕事と乃木坂の仕事を両立しているようにも捉えられる。
故に僕は山崎怜奈を "両立のスペシャリスト" と呼ぶ。
27thシングルでは初のアンダーセンターに抜擢。
乃木坂46としても彼女の頑張りが認められた瞬間だったのは間違いない。
そして迎えた28thシングル、彼女はまたも選抜には選ばれなかった。
ここぞというときに何故...と落胆してしまいたくなるのだが、それでも止まることなく走り続けるのが山崎怜奈なのだと最近では思うようになった。
飛べない鳥のシンデレラストーリーは人知れずどこかにあるのだと。


たとえ "じゃない方" だとしても私は私。
自分らしくあればいい。
自分らしさを認めてくれる人達の為になら笑顔になれると知ったから。


心は大きく躍動する。


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