ライターデビュー宣言から18日目で敗北を宣言します。
明確な目的がないと「物事を続ける」ということは、果てしなく苦しい。
「憧れ」だけでは「憧れの人」にはなれないのだ、当たり前なのだけど。
追いつめられて、「もう本当にこれしかないのだ」と腹をくくらない限り、目的地には、理想とする場所へ行くのは無理だ。
私には無理そうだ。一ヶ月経ってないけど。
「なんとなく」で始めたwebライティングの副業
楽しかったのは最初の1週間や、そこらだけ。
あとはもう、毎日毎日「書かねばならぬ」のプレッシャーだけが残り、プレッシャー故に筆は進まず、そして外でバイトをした方がはるかに高い時給という「現実」に絶望する毎日だけが残った。
「今日こそは大丈夫だろう」という記事は差し戻され、「全く何も言われない記事」は圧倒的に実績にもお金にもならない。趣味の延長だとしても、この小銭に何が残るのだろう?
私は毎日、毎日なにをやっているのだろう?
「好きなことをして生きていく」というのは、どれだけ遠い道のりなんだ。どれだけ孤独な道のりなんだ、なんだこの人生ルートは。
この道を選ぶ人は、ドМなのか。釈迦か達磨の生まれ変わりなのだろうか。
それとも、どこかが相当ぶっ壊れているのか。
いえ、すみません、褒めてるんです。マジで尊敬して褒めてます。
「基本的には我慢して、たまに好きなことをする」という人生の圧倒的な気安さよ。安寧さよ。私はこれがいい。
「我慢代」が給料なのだとしたら、私は我慢をする人間でいいんだと気づいた。それが悲しいのか、愚かなのか、正しいのか、狡いのか、そんな判断は無視して。他者の意見など果てしなく無責任なものだ。
覚悟を持たずに生きることは、楽だ。
覚悟を持たずとも生きていける。
畜生でいることは、選択肢の一つなのだ。
羽ばたく自由も、泳ぐ自由も、地で生きる自由も、平等なのだ。
それともこれも結局は自分に対する耳心地の良い言い訳なのだろうか。
戯言か。
逃げと言われれば、確かにそうなのかもしれないが、愚痴を述べながらでもとりあえず会社に向かい、席について、適当に仕事をしているフリをしていたとしても、月末に貰える給料の尊さよ。
もしそれが理想の仕事で、楽しく働けていて、満足のいく給料だったら、それはもう「最高に幸せな人生」だよ
一方で、月1000円を自分で生み出す大変さよ。
「自分を仕事に」「スキを仕事に」「自由に生きる」
優雅な白鳥の水面下の努力に、私はもう敗北をあっさりと認め、自ら小屋に帰ろうかと思う。
圧倒的に合わない。
性格なのか、性分なのか、気合なのか、根性なのか、甘えなのか。
何かが足りないのか、ただの向き不向きなのか。
撤退だ。惨敗だ。私はもうこの世界で屍と化している。
敵前逃亡だ。
挑戦はした。少なくとも。一ヶ月経ってないけど。
そして「合っていない」という回答を得た。一ヶ月経ってないけど。
それには意味がある。はず。
残りの契約分の記事は納品する。じゃないと、私は自己嫌悪で真っ黒になってしまいそうだから。今でも苦しいのに、この先一生途中でやめた、とヘラヘラしてるのは圧倒的に精神に悪い。
そしてまた、挑戦したくなったら戻ってくる。戻ってこられるように、離れる場所とはいえ、キレイにしておかねばならぬ。
笑ってくれて構わない。ダサいと思われようが構わない。
やったフリをして、黙ったまま「いつの間にか無かったことにする」方が私は嫌だ。
諦めてしまったのにやってるふりをして、Twitterやnote上で生きていることの方が、「一ヶ月経ってないけど、無理だったから辞めました」というより恥ずかしい。
ありのままを晒す、現時点での私は「こんな感じ」です。
以上、現場からでした。
読んでいただいてありがとうございます。
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全力で私の愛をお返しします!
よくいく居酒屋のハイボールは、1杯190円です。もちろん深い意味はありません。