「挑戦」することは「無謀」なことをすることではない。
最近Twitterを騒がせている一人の男子中学生がいる。
裸足で、ヒッチハイクをして、アメリカを横断する、と言っている。しかも中学生でクレジットカードを持てないため、キャッシュを持ち歩いている。
別に彼を責めるつもりはないので、ツイートのリンクを貼りはしない。
これは果たして「挑戦」と言えるのか?
否、私は違うと思う。
普段、「とりあえず海外に出てしまえばいい」とか「踏み出す時は半歩でいい」「大事なのは踏み出すこと!」と海外出ちゃいなYO!の煽り系ツイートをする身ではある。
だが、私はあくまでも「挑戦」を良しとしているのであり、「無謀」を推奨しているわけではない。
例えば、中学生でアメリカに行くな、とは言わない。
実際私も中学生の時にアメリカに行った
けれど、これは中学生・高校生の夏休みの留学プロジェクトであり、ホームステイ、語学学校への送迎、休日のスケジュールすべては管理下にあった。これは当然のことだ。未成年なのだから。責任の所在が明らかになっている大人の監視下に入る、それは命を守る上で絶対に必要なことだ。
じゃぁ、この「管理下に置かれた留学プログラムに参加する」ことは「挑戦」ではないのか?「甘えなのか?」
「挑戦」というとどうも少年漫画の主人公のように、本来なら到底実現不可能なことを、ガムシャラに頑張って、奥底に眠る「秘められた力」を引き出して、そして実現に持っていく。
という流れが多いので、どうも「無理だと思うことにあえて挑む」というイメージが強いのかもしれない。
本来の言葉の意味は下記の通りである
挑戦とは
1 戦いや試合をいどむこと。
「挑戦に応じる」「世界チャンピオンに挑戦する」「挑戦状」
2 困難な物事や新しい記録などに立ち向かうこと。
「世界記録に挑戦する」「エベレスト登頂に挑戦する」
goo辞書より
無謀とは
結果に対する深い考えのないこと。また、そのさま。
「無謀な旅程」「無謀運転」
類語
「無鉄砲」「 向こう見ず」「 命知らず」
goo辞書より
お判りいただけただろうか。
少年漫画の主人公は総じて「無謀」なだけなのだ
たまたま稀有の才能が眠っている、最大のピンチに必ず助けに来てくれる人がいる、致命傷を負っても自然に治癒する、そんなものを備えていない、現実の人間は、備えに備え、石橋をたたきながら、挑戦をするのだ。
無理をすることが恰好いいんじゃない
誰もやらないことをすることが成功じゃない
この世の、現実世界の物語の主人公は「死なずに、生きている」それだけで十分すごいことなのだ。わざわざ命を投げ出してまで、目立つ必要は本来ないのだ。
例えば、誰も知らない「留学物語」をひそかに紡いで、自分の小さな成功に満足して帰ってくる。それだけで、十分すぎるほどに事を成し遂げている。
そういう意味では今の世の中は危うい
目立ってこそのSNS、ハチャメチャ破天荒こそがSNS、変人でなきゃ意味がない。無茶をしないと数字を稼げない。
そんな風な声で、行動で、支持で溢れているように思えて。
その数字にどこまで意味がある?街灯にただただよってきただけの虫に何が出来る?もっと強い光が出ればそっちに移っていくだけだ。
(言い方が極端に悪いのは、全力で謝ります。でも今は許してね。)
まぁ、私も自分のはちゃめちゃ人生前面に押し出してるので決して人の事を言えるわけではないが、それはまぁ結果論であり、決して「無謀」なことをあえてしてきたわけではないのだ。わかる?笑
どうやら、例の中学生は無事に保護されて日本に帰国する手続きに入ったようだが、これは「失敗」ではない。「恥ずかしいこと」でもない。
無謀は誰も幸せにしない
「無謀」は誰も幸せになれないのだ、本人も、周りも。
無謀の周りにあるのは一見応援のようで、それは単なる「ガヤ」だ。
本当にピンチになったときに助けてくれる人ではない。
だったら、自分も高みを目指せる、周りも応援してくれる、「挑戦」を続けて欲しい。ピンチの時に必ず手を貸してくれる人たちを周りに集めて欲しい。
どんなに強い光が他に現れても、惹きついて離れない仲間を作って欲しい。
そして決して、忘れないで欲しい。あの有名すぎる一説を。
”さあ出かけよう 一切れのパン ナイフ ランプ 鞄につめ込んで”
ただ出かけるだけでも、これくらいの装備はマジで必要だから。
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全力で私の愛をお返しします!
よくいく居酒屋のハイボールは、1杯190円です。もちろん深い意味はありません。