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屋久杉になろうの会

小生の来世対策に「屋久杉になろうの会」がある。
主旨は単純、来世は屋久杉に生まれ変わろうという壮大な作戦だ。

結婚というものはつくづく極地的な発想の根源だと思う。
それが生きる希望にもなれば、生きる意味さえ奪うこともある。はたまた「結婚したから」という理由だけで、多くの人間は思考停止していることにさえ気付かなくなる。まさしく思考の極地的存在である。たかが紙一枚とはよく言ったものである。
かくいう小生も、結婚生活に疲れ、ただの働き蟻として生きていた30代、仕事をさぼってパチンコ屋に並び、部下と徹夜でモンハンをすることだけが生き甲斐で、未来に夢や希望など全く無く、ストレスの発散に明け暮れることで精一杯であった。そんな当時、小生の享年目標は45歳であり、正直、自殺願望さえもチラホラ顔を覗かせる中、マンションの残債が小生の逝去によって消滅することだけが、家庭を持つ小生の享年目標に対する、唯一のエビデンスとなっていた。そんなある日、小生の中でひっそりと立ち上げられたのが「屋久杉になろうの会」である。

「私は貝になりたい」というドラマがある。終戦後、戦争犯罪の冤罪を科せられた主人公が、人間世界で生きる無力さから静かに深海の貝のように暮らしたいというストーリー。
だがしかし、貝は意外と食べられる。魚の顎をなめてはいけない。貝などマッハで嚙み砕かれてしまう。貝はだめだ!
う~ん、ワカメはどうだろう、いやいや、出汁をとられてしまうではないか、ならばどうしたらよいのだ?草は一年持たないし、できるだけ長い時を一人でのんびりとしたい小生の願いを叶えるもの・・・・・・!
屋久杉があるじゃないか・・・
  
アレはいい、人類が保護の対象としている以上、木材として切り出さることない、3000年という悠久の刻を枝葉を揺らしながら鳥とともに暮らそう、時に愚かな人類が小生に(屋久杉)に抱き着き「大地のチカラを感じるぅ」などと宣うことさえも、もはや悠久の刻を生きる小生にとってはそよ風のごとくである。
仕事の鬱陶しい人間関係、家庭の鬱陶しい人間関係、将来の不安、若ハゲ、全てからの解放と悠久の刻を小生は手に入れるのである。これは素晴らしい。あまりの名案に、「人生」に悩んでいる仲間には、都度密かに声をかけ「屋久杉の会」への参加を呼びかけてきた。会員数は未確認ではあるが、多くの仲間が賛同の意を示してくれている。
だが、ふとここで考える。みんなが屋久杉志望になったとき、定員オーバーで抽選制になってしまったらどーしよう??
小生、ハズれる自信満々・・・
ということで会員募集は内密に打ち切ることにしたのだが、その後、離婚を経て小生の趣向は大きな転換点を迎えることとなる。
独身は面白い(クズの発想)
もはやだれも老後の心配をしてくれない。これは健康にならないと!稼いだ分楽しいことができる。これは仕事に全力を尽くさないと!急遽小生の人生は忙しくなり、気が付けば45歳を超えていた。残念無念である。
しかしながら、やはり来世は屋久杉が良いと思う。そう思えるほどこれからの人生を忙しく、3000年の休憩を許されるくらいの社会貢献をしていきたいと思っている。よって「屋久杉になろうの会」の会長は継続である。

そんな小生が極地で得た結論の一つ。
結婚生活を短く終わるのと、内縁を長く続けるのだと、後者の方が「健全」なのではないだろうか?悪しからず。


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