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オズの魔法使い(メモ...?)

ごめんね、わかりにくいと思う。面白くする気も無いメモ書き。
そのくらい自分でももうわからない。

『勇気が欲しい。
知恵が欲しい。
心が欲しい。

帰り道なんて要らないから。』
なんて欲しがりすぎだよな。

というわけで実質帰り道を一つ捨てた。
比喩表現だけど、自分の中では比喩ではない。
自分の中で、一つの柱だったものを明確に消し飛ばした。
ぐらついてるが、心臓が動き出した。
そこまでしないと生きてると思えない自分が怖いが、
それと同じくらいの愛おしさを自分に感じてしまった。
子供の頃の遺産を一つ一つ、手折っていく。
やべぇ、超苦しい。
でも、大人になる過程ってこんなことなのかな。

色々求めているものが自分の中にあるのだが、その先はいつも空洞だ。
結局、生きる意味という問いに、
かつて私は、
『死ぬときにならないと分からないから、考えるだけ無駄』
と、友達に答えた。

真実ではある。
でも、生きてる意味が欲しいと俺は願いだした。
友達にはああいったのに。
得意なことが思い浮かばない。
縋れるものもないし、それをしたらいつか誰かを、何かを憎んでしまう。
縋れないから、眠りに落ちていく。
何も見ないように。
酸っぱい葡萄が恐ろしい。
自分じゃないといけないの?という疑問にはいつだって白紙で返している。

そうだな。
自分が居なくても世界は回るし。
そしたら、自分が世界になるしかないというのもわかる。
世界は思ったよりも深くて、それに愛おしさを感じている自分がいる。
でも、自分の空っぽの世界を満たすためには、外の世界に触れなきゃいけないという矛盾。

でも、自分がそこにいるべきだとは何故か思えない。
でも、とても寂しい。
そう、昔からずっとそう。
それを満たす方法をずっと探し続けているし、
一生満たされないこともわかってる。
いや、皆そうなんだろう。
でも、皆代替品を見つけてく。
努力の結果だよな。凄いよ。
馬鹿はずっとここにいる。
もっと寂しくなっていく。
自分の時計にある針は動かないのに、時報だけは鳴る。
『もうすぐ死ぬぞオマエ。』
笑えてるかも自分で分かっていないような笑顔モドキでそれに応える。

そうだ、ゴッホの向日葵を見に行ったんだ。
何作かあるうちの一つは日本にある。
明るい黄色の中に、黄色を重ねたんだと。

ひまわり(SOMPO美術館蔵)

シェフと見に行った。
『その時代の絵師を一つの家に集めて、理想郷を作ろうとした。その野望がこの絵には詰まってる。一つ一つが、その芸術家のイメージらしい(要約)』
本当かわからないけど、うなだれるように向き合った向日葵が愛おしく思えてきた。
向日葵の良さがわからない。けど、東京に来てから良いもの、悪いものをたくさん比べる機会があって、自分が見る物全てを良いと思い込む必要が無いのだと知った。
それは、なんだか救いだった。

帰り道を失うために、一かけらの勇気を手に入れてしまった。
それを意味あることにするために走らなきゃいけないのに、走り方がわからない。
他人が怖い。
でも、帰り道を一つ、締め切った。
首が閉まる。息が苦しい。
動悸がする。

生きている。気がしている。
時計が進み始めた。
恐ろしい。けど、人間に近づいていく。
金色の雛から、醜いアヒルへ。
井戸の中のオタマジャクシから、蛙へ。
いつか、大海を知りたい。
いつか、空の青さを知りたい。

知った果てにどうするのか答えが出ない。
それだって欲しい。

求めることを覚えてしまった。
願いを祈るのにも所作があることを。
その所作の意味も、自分の中で理解した。
願わなきゃ叶わない。
所作を取らなきゃ、叶う確率は低いまま。
効率的な所作を身に着ける?
求めていいのか、こんな僕でも。
世界に対して、こうあってくれと。
『どうせ変わらないだろ』
いや、でも、救いだ。
神父には向いていなかったようだ。

進み始めた時計は、今までスキップしてきた時間を非難してくる。
でも、針が動き出したことを喜ぼう。つーか嬉しい。
それと同じくらい苦しいけど。

そうだな、私は楽しむ天才なのだ。
それと同じくらい、苦しむ天才だ。
ならせば普通!
勇気もないし、知恵もないし、優しい心も無いけれど!
足りないけど普通への一歩を。
貪欲な普通への一歩を。

生きている。気がしている?

いいや?生きてる!


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