現代人よ、「ぬ」は「ず」じゃない

突然ですが、クイズです

以下の文を現代日本語に訳してください。

主イエスは生まれぬ

これは、讃美歌103番「まきびとひつじを」の歌詞の一部です。
正解は、主イエスは生まれた。まさか、生まれないというふうに訳していないですか?

では、こちらは?

罪をも咎めず

讃美歌230番「天地(あめつち)つくれる」の一部です。
正解は、罪をも咎めないとなります。

みなさま、お察しがよろしいようで。

「ぬ」は否定じゃないの?

先程の「生まれぬ」を現代日本語として見るならば、もちろん生まれないと同一の意味となります。では歌詞全体を読んでみましょう。

牧人(まきびと)ひつじを 守れるその宵、
たえなるみ歌は 天(あめ)よりひびきぬ。
喜びたたえよ、主イエスは生まれぬ。
(日本キリスト教団出版局「A6版・讃美歌・讃美歌第二編」より抜粋)

いかがでしょう、どこにも現代日本語の香りがしませんよね?
そう、歌詞全体は古語で書かれているのです。つまり、現代語の土俵にあげたところで正しく意味を理解することは出来ないといえます。
古語辞典を引きますと、「ぬ」は完了であったり確認・強調の助動詞として掲載されています。否定や打消の意味はないのです。
「ず」は打消の助動詞として掲載されています。
では、なぜこのような間違いがおこるのか?

辞書で「ぬ」を確認してみよう

前項の終わりでも書きましたが、まずは「ぬ」について確認しましょう。
まずは現代日本語から。


①(助動・特殊型)〔文語の助動詞「ず」の連用形から転じた形〕動作・状態などを「…ない」と否定することを表わす。
②(助動・ナ変型)〔文語の助動詞〕その動作・作用などがすでに完了・実現したものであることを表わす。

活用は、
ず(連用)、ぬ[ん](終止)、ぬ[ん](連体)、ね(仮定)

現代語だと、否定を表わす助動詞として取り上げられています。
が、文語の助動詞「ず」の連用形から転じたが少々引っかかりませんか?
いったん置いていて、古語辞典を見てみます。

ぬ《完了の助動詞》活用語の連用形に付く
①完了(ある動作や働きが完全に実現・終了する)。
 〜た、〜てしまう、〜てしまった
②確認・強調(略)
 きっと〜、たしかに、かならず〜(てしまう)
③並列(ふたつの動作・働きを並べていう。鎌倉時代以降の用法)
 〜たり〜たり


活用形を見てみましょう。
な(未然)、に(連用)、ぬ(終止)、ぬる(連体)、ぬれ(已然)、ね(命令)

つまり「生まれぬ」は、

生まれ(「生まる」の連用形) + ぬ(終止形)

で構成されていることがわかります。

辞書で「ず」を確認してみよう

では、お次は「ず」です。
こちらもまずは現代日本語から確認しましょう。


①(助動・特殊型)否定の意を表わす助動詞「ぬ」「ない」の文語形。
 動詞、動詞型活用の未然形につく。
②助動詞「ぬ」の連用形。

おっと、なんか嫌な予感…
そして古語辞典。

ず《打消の助動詞》活用する後の未然形に付く
 打消(そうではないと否定する)
 〜ない、〜ぬ


に、におう…

活用形は、
ざら(未然)、ず[ざり](連用)、ず(終止)、ざる[ぬ](連体)、ざれ[ね](已然)、ざれ(命令)

臭う、臭うぞ!!
つまり「生まれない」という意味の語を作るためには、

生まれ(「生まる」の未然形) + ず(終止形)

とする必要があります。
臭いすぎてガスマスクが必要ですね、あげません。

動詞(用言)の下二段と下一段も原因なんじゃね?

前述の活用を見ていただくとわかり通り、現代語の「ず」と古語の「ぬ」が混同してしまう原因のひとつに、「ず」の連体・已然と「ぬ」の終止・命令が混同しやすいことが挙げられます。今一度確認しておきましょう。

「ず」…ざる[ぬ](連体)、ざれ[ね](已然)
「ぬ」…ぬ(終止)、ね(命令)

確かに、混同しやすいですね。
しかし、まだ臭うと私は思います。混同しやすい原因のもう一つは、

古語の下二段活用と現代語の下一段活用

なのではないか!
試しに「生まる(古語)」と「生まれる(現代語)」を活用させてみます。

古語
生まる(ら行下二段活用)
生まれ(未然)、生まれ(連用)、生まる(終止)、生まるる(連体)、生まるれ(已然)、生まれよ(命令)


現代語
生まれる(ら行下一段活用)
生まれ(未然)、生まれ(連用)、生まれる(終止)、生まれる(連体)、生まれれ(已然)、生まれよ[生まれろ](命令)

古語も現代語も、未然形と連用形が全く同じ活用の仕方をしています。
「ぬ」が活用語の連用形につき、「ず」が活用語の未然形に付くことを考えると、この間違いが起こるのは必然だと思います。

しかし、現代人よ

「ぬ」と「ず」の活用はわかりづらいし、下一段と下二段もわらりづらい…
しかし、現代人よ。それも音楽やってる現代人よ。
古語の意味がわからないのは仕方のないこと。
わたしもそのひとりです。
だがわからないということで、そのままにしていないか?
甘えは許されない、なぜならば…

ググれば、大抵のことは解決するからだ

そう、平成〜令和の時代。大抵のことはインターネットで検索すれば解決する。「ず 古語 意味」と検索をかければ、いつくもの辞書のWebサイトが引っかかる。いつくもの質問サイトでは、同じような悩みを抱えた人の似たようなQAを見ることが出来るだろう。

と、いうわけで。
特に明治期〜昭和期にかけて作られたり訳詞されたりした讃美歌の歌詞は、流麗であるけれども、意味を把握するのが非常に難しいものがたくさんあります。最近ですと、難しい古語を易しい現代語に訳し直して出版された讃美歌集を書店で見かけます。それらを使用するのも良いかもしれません。しかし、先人たちが築いてきた流麗な日本語を、やれ難しいだのやれ意味わからんだのと言いながら、ないがしろにしてはいけません。
令和の時代、わたしたちが出来ることは能動的であることだと思います。

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